点字の歴史


現在世界中で使われている点字はフランスの盲人ルイ・ブライユによって考案されたものです。昔、フランスの砲兵大尉シャルル・バルビエは軍事目的で考案した、夜でも触って読むことができる暗号が、盲人用の文字として使えることを思いつき、12点点字を作りました。ブライユはこれを改良し現在使われている6点点字を作ったのです。

日本に点字ができたのは、1886年の事です。 東京盲亜学校にやってきた小西信八が凸字の教科書を苦労して読んでいる生徒を見て自由に読み書きができる文字が必要だと強く感じた事がきっかけです。 東京教育博物館(現在の国立科学博物館)の館長をしていた手島精一に相談をしました。 そこで信八はブライユの点字があることを教えられ、イギリス製の点字盤をかりることができました。

小林新吉はいろんな方法を試していました。 糸を結んでいろは順に文字を表した結び文字という方法、文字の形をうきださせて焼いたレンガを使ってみる方法、針で文字の形を作ってうきださせたりといろいろな方法などです。 信八は新吉に早速ブライユの点字を教えてみると新吉はすぐに覚え、ローマ字で書き表し、日本で初めて点字を読むことができました。

小西信八は何とかこの点字が日本語で使えるようにしようと石川倉次に頼みました。
すると石川倉次はまず、6点でできる組み合わせ63通りあると考えました。 次に同じ形でも高さが違うものは間違えやすいと考えました。 63通りからその分を引くと、44通り日本のかなは48文字ある(当時は「ゐ《や「ゑ《もあった)ので44通りだと4文字足りないと考えました。
1890年になって同じ学校の遠山邦太郎が6点で50音を作ってきたのをヒントに石川倉次は今の日本で使われているおおもとになるものを考え出しました。

点字の案は①遠山邦太郎の案②生徒の伊藤文吉・室井孫四郎の案③石川倉次の案がありました。
遠山邦太郎の案と伊藤文吉・室井孫四郎の案はブライユの点字の並べ方を活かしたものです。 石川倉次の案は、「あ・い・う・え・お《を決め、それに点を加えていくもので、ブライユの並べ方とは違ったものになっていました。

そして、日本の点字を選ぶための研究会が開かれました。



そのほかにブライユの点字をそのまま使ってローマ字で日本語を書くのではなく日本の仮吊を新しく作ること いろは順ではなく50音に組み立てること、数字はブライユのものと同じものを使うことなどが決められました。

そして1890年11月1日 日本の点字を石川倉次の案にすることが決定し、11月1日は点字記念日となりました。