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太宰府ゆかりの人たち 
 
さかもと  りょうま
坂本龍馬

 『坂本龍馬』といえば、高知県や長崎県にゆかりのある人物ですが、実は太宰府も龍馬にゆかりのある地であったのです。

尊攘派の龍馬は、対立する薩摩と長州の同盟が不可欠と考え、行動を起こしていたさなか訪れたのが太宰府だったそうです。

慶応元年5月23日に太宰府へ到着し、24日に延寿王院に滞在していた※公武合体派による政変で都落ちした※尊王攘夷派の公爵『三条実美』に会って、太宰府に来ていた薩摩・長州それぞれの藩士と忙しく会談し、仲の悪かった薩長両藩を連合させ、将来にための備えを太宰府で築きました。

龍馬、このとき31歳。その2年後の慶応2年に薩長同盟が成立しました。龍馬暗殺まであと1年のことでした。

 ※公武合体派…幕府の決定は朝廷の決定だというような考え方
   尊王攘夷派…天皇を敬い、外敵を追い払い国内に入れないこと




ひじかた  ひさもと
土方久元


土方久元』は1833年に現在は土佐市に名前が変わった『土佐国土佐郡秦泉村』、土佐藩郷士『土方久用』の長男として生まれました。
 通称は楠左衛門、雅号は秦山でした。土方久元が太宰府に訪れたのは1865年、三条実美ら急進派公家のお供をしていた時のことです。
 1897年に出版された『回天実記』にも太宰府での出来事などがつづられていました・



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