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文月葉月長月
 7月 8月 9月
●文月 7月
 七夕祭り 7月7日
七夕祭り:五節句の一つで、天の川の両岸にある牽牛星と織女星が年に一度相会するという7月7日に星を祭る年中行事。中国伝来の乞功奠(裁縫や書道など上達を祈る女の祭)の風習とわが国の神を待つ「たなばたつめ」の信仰とが習合したものであるといわれている。奈良時代から行われ、江戸時代には民間にも広まった。現在では七夕の日に短冊に、歌や願いごとを書き星などをかたどった色紙などとともに笹竹に飾る風習が多くみられる。七夕行事としては、戦後の復興を目指してはじまった仙台の七夕祭りが有名である。太宰府天満宮でも平成十八年(2006年)より七夕まつりを復興しさまざまな行事も行われています。
 夏祭り  7月24日〜7月25日
夏祭り:御祭神の菅原道真公の御誕生日(旧暦6月25日)をお祝いする夏まつりが24・25日の両日にわたり行われます。
楼門前には、茅の輪が立てられ文芸灯籠が飾られます。24日午後からは、子供みこしが町内を練り歩きます。

千灯明:25日の夜、心字池の周りに千本の灯明が灯されます。池の上には舞台が設けられ、神楽という舞が舞われます。
時代をさかのぼった気分です
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●葉月 8月
 注連打奉納相撲  8月31日

注連打奉納相撲:太宰府天満宮御祭神(菅原道真公)の祖先である野見宿禰(のみのすくね)公は、日本書記によると、垂仁天皇の時代、力自慢の当摩蹶速(たいまのけはや)を倒しました。
これが、相撲の始まりとされ、御本殿裏には野見宿禰公の碑と力石が奉納されています。
太宰府天満宮注連打奉納相撲は、天満宮の祭事の中で最も大切な「神幸式」(9月21日〜25日)に使用する注連縄を氏子の人達が作り終わった後に、相撲をとって力自慢を競ったのが始まりです。
現在は、福岡県はもとより佐賀県・長崎県・大分県からも相撲愛好家参加のもと行われています。
少年・一般の個人戦、団体戦のほか赤ちゃんの土俵入りが執り行なわれます。

注連打奉納相撲
七夕揮毫大会   8月1〜3日

七夕揮毫大会:書の三聖の一人と称えられる菅原道真公をお祀り申し上げます太宰府天満宮では、七夕揮毫大会を開催いたします。

七夕揮毫大会
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 神幸式お注連立て 9月1日

 神幸式お注連立て:氏子の方々により神幸式大祭(9月21日〜25日)のために奉製された注連縄を神職や氏子の方々が奉持し、御神幸のお旅所となる榎社に運び、1(天満宮に対す)、2(天拝山に対す)、3(榎社に対す)の注連縄を立てます。

 神幸式大祭(じんこうしきたいさい) 9月21日〜9月25日
神幸式大祭:1101年、大宰権帥だった大江匡房によって始められたお祭り。9月22日の夜、天神様を乗せた神輿と行列は、どんかん道を通って配所の館とされている榎社まで御神幸し、23日、天満宮まで還御します。あと、鐘と太鼓の音から「どんかん祭り」とも言われています。榎社では童女の倭舞が、本殿に還御された後に竹の曲が奏上されます。
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 古式祭(こしきさい)

古式祭:神社の祭典には必ず「神饌」が供えられる。神饌は神社により、また時代とともに内容、種類、調理方法、盛り方など形式化されるとともに変化してきた。今日では神饌は「生饌」(生のまま)が全国的に一般的になっているが伊勢神宮、春日大社、談山神社の祭典などでは「特殊神饌」としてその神社独特の神饌を今日に伝えている。太宰府天満宮では正月と鬼すべに供えられる。「切餅」、更衣祭での「御供」(御飯)に昔の形が僅かに残っているが、江戸時代には通常でも十五菜、大きな祭典では七十五菜と多くの種類の神饌が供えられていたようである。このなかで太宰府天満宮独特のものが「覽粢」という神饌である。これは、米粉を擂木でねり、焙烙に入れ、円形を書き縦横の乱線を引いて焼いたものである。読んで字のごとく「神之を覽るの粢」であって食する粢(神前に供える餅)ではない。菅原道真公の命日である2月25日と秋の神幸祭の天満宮にとって最も大切な祭典に供えられていた。平成14年(2002年)の千百年大祭では4月7日(旧暦2月25日)に江戸時代から特殊神饌として供えられていた「覽粢の御供」を紅白で復元し、神前に供える古式祭が斎行された。

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