Space Debris ~秒速8kmの先へ~

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デブリの歴史

年表豚

スペースデブリ歴史年表

  • 1957年10月

    スプートニク1号はソビエトのチュラタム基地より打ち上げられ,
    衛星の形は、直径58cmのアルミニウム製の球で、それに長さ2,4mのアンテナ4本がついていて、重量は83,6kgです。
    電池の寿命は3週間でしたが22日後に電池が切れた跡も周回し続け、打ち上げてから92日後の1958年1月4日に大気圏に突入して消滅しました。    

  • 11月

    スプートニク1号のときと同様、ソビエト連邦のチュラタム基地より打ち上げられました。重量は508kgでスプートニク1号のときよりも重くなっています。スプートニク2号にのせられたライカ犬は「打ち上げから10日後に薬入りの餌で安楽死させられた」とされていましたが、のちのロシア政府の情報によると、「ライカ犬はキャビンの欠陥による過熱で打ち上げの4日後に死んでいた」とのことです。

  • 1959年

     国連宇宙空間平和利用委員会(UNCOPUOS)が国連に設置されました

  • 1961年4月

    人類が初めて有人宇宙飛行をした際に搭乗した宇宙船は、ボストーク1号でした。このとき、初めて宇宙へ旅立った人間はソ連のユーリ・ガガーリンでした。宇宙から帰還した後の会見での、彼の「地球は青かった」という発言は有名です。 

  • 6月29日

    アメリカが Transit4A衛星を打ち上げ、その2時間後、ロケット最終段が突然何百個もの破片に分かれるのが観測されました。

  • 1963年5月9日

    アメリカが4億84万本の微小針を「宇宙通信実験」と称して宇宙にばらまきました。

  • 1964年

    アメリカではじめて偵察衛星が打ち上げられてから、世界では軍事目的である偵察衛星が打ち上げられるようになり、ソ連も偵察衛星を打ち上げましたが、回収直前に突然爆発を起こしました。実は、これはソ連が下した自爆命令によるものでした。再突入の手順に狂いを感じ、自国以外の国に落ちる予定になってしまいました。ソ連は情報が他国に漏れないよう、「コスモス50」に自爆命令を送信したのです。

  • 1965年11月26日

    フランス初の人工衛星『アステリックス』は、アルジェリアからディアマンAロケットによって打ち上げられました。右の写真は『アステリックス』の模型です。

  • 同年

    タイタンCは強力なロケットで、最終段はトランステージと呼ばれる2液式ロケットです。衛星を切り離したロケットのトランステージが、高度740kmでブレークアップをおこし、475個の破片が観測されました。

  • 1966年7月

    フランスの人工衛星『スリーズ』が、1986年に破壊されたロケット『アリアン』のスペースデブリのうちの一つとぶつかりました。これがスペースデブリと人工衛星との初めての衝突でした。

  • 1968年12月

    アポロ8号は地球周回軌道を離れて月を周回し、また安全に地球に戻ってきた初の宇宙船でした。サターン5型ロケットで打ち上げられ、月の周りを10回周り、地球へ帰ってきました。

  • 1969年6月16日

    アポロ11号はニーム・アームストロングとエルウィン・オルドリンを月面にたたせました。右の写真は世界的にも有名なエルウィン・オルドリンが月面に残した足跡です

  • 1970年

    『おおすみ』は鹿児島県の宇宙空間観測所で打ち上げられました。全長1m、重量は24kgで、人工衛星の打ち上げの技術の習得と、衛星についての工学的試験を目的に作られました。落ちてきたのはつい最近で、2003年8月2日に落下しました。

  • 同年

    1970年代に入ると、アメリカは宇宙ステーションの計画をしはじめました。宇宙ステーションは大規模な宇宙施設と、特徴付けられたので、他の宇宙物体との衝突の機会が増えることが容易に予想されました。NASAの内部資料では、当時、宇宙での衝突の危険性を検討し始めたことが伺われます

  • 1971年

    イギリス初の人工衛星である『アリエル1号』はアメリカのフロリダ州にあるメリット島のケープカナベラル空軍基地から発射されました。『アリエル1号』は1960年代から1980年にかけて行われた、イギリスの人工衛星プログラム『アリエル計画』の第1号です。

  • 1978年

    ソ連の原子炉衛星『コスモス954号』は1977年9月18日に打ち上げられましたが、運用終了後、原子炉の分離、高度の高い安定した軌道への移動に失敗し、大気圏に突入、カナダに落下しました。人的被害はありませんでしたが、放射能を帯びた破片が広範囲に飛び散る事態となってしまいました。

  • 1979年7月

    インド初の人工衛星『アリヤバータ』はX線天文学、超高層大気学、太陽物理学の実験を目的として、インド宇宙研究機関によって制作されました。1976年から1997年まで、インドの2ルピー紙幣の裏面に『アリヤバータ』が描かれていました。

  • 同年

    NASAは1973年5月14日にアメリカ初の宇宙ステーション『スカイラブ』を打ち上げました。上記で説明したアメリカの宇宙ステーション開発計画の完成版です。自宅の屋根に落ちた『スカイラブ』の破片を17歳の少年がサンフランシスコの新聞会社に持っていったところ、10000ドルの賞金を手にしたらしいです

  • 1981年4月10日

    ガガーリンのフライトからちょうど20年、スペースシャトル『コロンビア号』が宇宙へ旅立ちました。スペースシャトルには、何かの破片や氷のかけらなどがたくさん降りそそぎ、断熱タイルには300~400個の傷ができました。

  • 1983年7月18日

    ソ連の原子炉衛星「コスモス1402」がカナダに落下

  • 1984年

    1984年、スペースシャトル「チャレンジャー号」は歴史に残る作業を行っていました.宇宙飛行士であるヴァン・ホフテンは、スペースシャトルの荷物室で衛星「ソーラーマックス」の修理を行ったのです。 これは宇宙での修理の最初の試みでした。

  • 同年

    長期曝露装置(LDEF)が大量のスペースデブリを確認しました。

  • 1985年9月13日

    アメリカの太陽観測衛星がミサイルにより破壊されました。 これにより大量のデブリが拡散しました

  • 1986年1月

    3スペースシャトル『チャレンジャー号』は、打ち上げられてからわずか73秒後、固体燃料補助ロケットの破損により空中分解しました。この事故により乗り組み員7名が犠牲となりました。

  • 2月

    後に説明しますが、「ミール」は2001年3月に地球に落下しました。『ミール』という名前は、ロシアで「平和」「世界」を意味します。

  • 1987年

    NASAとESAがスペースデブリ低減のため協力開始しました。

  • 1988年2月

    レーガン大統領によるデブリ最小化を国家方針とする政策が出されました。

  • 1990年5月

    長期曝露装置(LDEF)の回収が開始しました。

  • 同年

    1990年5月、2年に1度日本で開かれる国際会議「宇宙技術および科学のシンポジウム(ISTS)」が東京の高輪プリンスホテルの一室で開かれました。その会議の合間にたまたま行われた自由な意見交換で、スペースデブリが話題となりました。

  • 1992年

    1992年、毛利衛がNASAのペイロードスペシャリストとして宇宙へ

  • 1993年

    国際機関間スペースデブリ調整委員会(IADC)が発足しました

  • 1998年

    国際宇宙ステーション組み立てが開始しました

  • 2001年3月23日

    2001年、ロシアの宇宙ステーション「ミール」の廃棄が決定されました。ミールの全長は約33メートル、質量は約140トンです。年表を見ていただければわかると思いますが、ミールが打ち上げられたのは1986年、わずか15年で宇宙ステーション「ミール」は廃棄されてしまう結果となったのです。この結果に特に慌てたのは日本でした。落下する直前に日本上空を通過するからです。

  • 2002年

    スペースデブリの低減に関するガイドラインや提案、行動規範はJAXAやNASA、ESA(ヨーロッパ宇宙機関)、ロシア連邦宇宙機関から発行されています。2002年に開かれた、国際機関間スペースデブリ調査委員会(IADC)の会議でスペースデブリをこれ以上増やさないための「スペースデブリ低減ガイドライン」が作成されました。

  • 2003年

    スペースシャトル「コロンビア」帰還中に爆発事故を起こしました

  • 2007年1月12日

    中国が自国の衛星「風雲1号C」を地上からミサイルで爆破  これにより大量のデブリが拡散しました。

  • 6月

    2007年には、このガイドラインが国連の宇宙空間平和利用委員会(COPUOS)に受け継がれて、「国連宇宙デブリ低減ガイドライン」が決議されました。しかし、このガイドラインをやぶったからといって罰則はありませんので、従わない国なども出てきたりします)

  • 2008年2月21日

    アメリカが自国の偵察衛星を爆破

  • 2009年2月10日

    2009年2月10日、シベリア北部の上空790kmの宇宙空間で、アメリカとロシアの人工衛星が衝突をおこしました。 今回のような人工衛星同士の意図せぬ衝突事故は人類史上初めてでした。

  • 同年

    国際宇宙ステーション内の日本の実験施設「きぼう」完成

  • 2013年11月

    若田光一さんが日本人初の船長に就任し、宇宙へ行きました。


私たちの意見

歴史の「科学者たちの見解」を見て頂きお分かりになったと思いますが、いろんな科学者たちがかなり昔から「スペースデブリは危ない」と警告しているのです。
しかし、宇宙では、軍事的な実験やブレークアップ、人工衛星同士の衝突などにより、スペースデブリが、今もなお、増え続けています。
これほどの問題なのに、いまだ、スペースデブリの知名度は低いままです。
『人工衛星をミサイルで撃ち落とす』という一見馬鹿げているような実験も、アメリカとロシアが争っていた冷戦時代が終わった今でも、まだ行われています。なぜ科学者たちの声が届かないのか、なぜ対策が行われないのか。
たくさんの疑問が生まれてきました。スペースデブリにはどうやら、たくさんの『大人の事情』が絡んでいる気がします。

また、年表のなかで、人工衛星が何度も地上に落ちてきていることを見つけたと思います。
被害は宇宙だけではなく、私たち人類が住む地球上にまで及んできています。人工衛星を作る際、ただ打ち上げて観測することだけを考えて作るのではなく、仕事を終えた後も、どうしたら安全に回収・破棄することができるかも考えて作る必要があると思いました。

しかし、その一方で、「国連宇宙空間平和利用委員会(UNCOPUOS)」「国際宇宙機関間スペースデブリ調整委員会(IADC)」「スペースデブリ研究会」など、スペースデブリの対策を進める機関もいます。
スペースデブリが問題となっていくこれからはきっと、これらの機関が活躍していく時代となるでしょう。