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伝子

歌舞伎がどんなものかは、大体わかったね。


GOくん

そうだね 。それにしても歌舞伎ってずいぶん奥が深いんだなあ…。


伝子

でも、歌舞伎って一体いつからあるのかしら…


GOくん

それじゃあ、見てみよう。


歌舞伎 ( かぶき ) 起源 ( きげん ) は9 世紀 ( せいき ) ごろからある「 念仏踊 ( ねんぶつおど ) り」とされています。「 歌舞伎 ( かぶき ) 」という 言葉 ( ことば ) は「 ( かぶ ) く」という 言葉 ( ことば ) から ( ) ていて、 これは 常識 ( じょうしき ) はずれなもの、 型破 ( かたやぶ ) りなものを 意味 ( いみ ) しています。
元禄期 ( げんろくき ) (1688~1707)
庶民 ( しょみん ) 文化 ( ぶんか ) がとても ( ) ( ) がっていたので、 歌舞伎界 ( かぶきかい ) でも 公認 ( こうにん ) 劇場 ( げきじょう ) が11 ( ) ( ) え、 興業 ( こうぎょう ) として ( ) ( ) つようになりました。
享保期 ( きょうほうき ) (1716~1735)
歌舞伎 ( かぶき ) 人気 ( にんき ) がなくなり、 ( ) わりに 人形浄瑠璃 ( にんぎょうじょうるり ) ( さか ) んになったので、 人形浄瑠璃 ( にんぎょうじょうるり ) 人気 ( にんき ) ( ) 作品 ( さくひん ) 歌舞伎 ( かぶき ) ( えん ) じるようになりました。しかし、 人形浄瑠璃 ( にんぎょうじょうるり ) も 30~40 ( ねん ) ほど ( さか ) えた ( あと ) 衰退 ( すいたい ) し、 ( ) わって 歌舞伎 ( かぶき ) 人気 ( にんき ) ( ) ( もど ) しました。また、 舞台 ( ぶたい ) のつくりが 改良 ( かいりょう ) されたり、 ありのままの 表現 ( ひょうげん ) をする 演技 ( えんぎ ) 工夫 ( くふう ) されたりしたのもこの ( ころ ) です。
文化 ( ぶんか ) 文政期 ( ぶんせいき ) (1804~1830)
時代 ( じだい ) 要求 ( ようきゅう ) ( おう ) じて 残酷 ( ざんこく ) さ・ 怪奇 ( かいき ) さを 強調 ( きょうちょう ) し、 社会的 ( しゃかいてき ) 身分 ( みぶん ) ( ひく ) ( ひと ) たちの 様子 ( ようす ) をありのままに 表現 ( ひょうげん ) した 演目 ( えんもく ) 出来 ( でき ) ました。 一人 ( ひとり ) ( ) ( やく ) ( 男役 ( おとこやく ) )と 女形 ( おんながた ) ( 女役 ( おんなやく ) )の 両方 ( りょうほう ) ( えん ) じる 役者 ( やくしゃ ) 登場 ( とうじょう ) したのも この ( ころ ) です。
天保期 ( てんぽうき ) (1830~1844)
芝居 ( しばい ) 作者 ( さくしゃ ) 人気俳優 ( にんきはいゆう ) たちが 次々 ( つぎつぎ ) ( ) くなり、 新旧 ( しんきゅう ) 交代 ( こうたい ) 時期 ( じき ) になります。 また、 江戸三座 ( えどさんざ ) のうちの ( ふた ) つである 中村座 ( なかむらざ ) 市村座 ( いちむらざ ) 火事 ( かじ ) 焼失 ( しょうしつ ) するなど、 徐々 ( じょじょ ) 歌舞伎界 ( かぶきかい ) ( いきお ) いがなくなっていきました。
明治 ( めいじ ) 戦時中 ( せんじちゅう ) (1868~1945)
外国人 ( がいこくじん ) 身分 ( みぶん ) ( たか ) 人々 ( ひとびと ) ( たの ) しく 鑑賞 ( かんしょう ) できる 作品 ( さくひん ) にしようと「 演劇改良運動 ( えんげきかいりょううんどう ) 」が ( ) こったり、 現在 ( げんざい ) でもとても 有名 ( ゆうめい ) 歌舞伎座 ( かぶきざ ) 出来 ( でき ) たりしたのもこの 時期 ( じき ) です。しかし、 江戸時代 ( えどじだい ) から ( つづ ) いてきた 伝統的 ( でんとうてき ) 江戸歌舞伎 ( えどかぶき ) 偉大 ( いだい ) ( ひと ) ( ) などによって 急速 ( きゅうそく ) 衰退 ( すいたい ) し、 ついには ( ) わりを ( むか ) えました。その ( あと ) 歌舞伎 ( かぶき ) 近代化 ( きんだいか ) 実現 ( じつげん ) され、 昭和 ( しょうわ ) 3 ( ねん ) にはソ ( れん ) 現在 ( げんざい ) のロシア)で ( はつ ) 海外公演 ( かいがいこうえん ) ( おこな ) われましたが、 戦争 ( せんそう ) 本格化 ( ほんかくか ) すると 劇場 ( げきじょう ) 閉鎖命令 ( へいさめいれい ) ( ) たり、 ( おお ) くの 劇場 ( げきじょう ) 焼失 ( しょうしつ ) したりといまひとつ ( ) ( ) がりに ( ) けました。 終戦直後 ( しゅうせんちょくご ) (1945~1950あたり) 戦争 ( せんそう ) ( ) わった ( やく ) 1か 月後 ( げつご ) 昭和 ( しょうわ ) 20 ( ねん ) 9 ( がつ ) には 歌舞伎 ( かぶき ) 上演 ( じょうえん ) 再開 ( さいかい ) されますが、 当時 ( とうじ ) ( くに ) 政策 ( せいさく ) ( はん ) する 演目 ( えんもく ) 仇討 ( あだうち ) ( もの ) などの 上映 ( じょうえい ) 禁止 ( きんし ) され 、 ( むかし ) から ( つづ ) いてきた 作品 ( さくひん ) 上演 ( じょうえん ) することはできなくなります。 昭和 ( しょうわ ) 22 ( ねん ) ( ) わり ( ごろ ) になるとそのような 命令 ( めいれい ) 全面解除 ( ぜんめんかいじょ ) され、24 年末 ( ねんまつ ) には ( わか ) 観客 ( かんきゃく ) ( ) ( ) れを ( もと ) めて 武智歌舞伎 ( たけちかぶき ) 新作歌舞伎 ( しんさくかぶき ) 上演 ( じょうえん ) されたり、ジャンルを ( ) えた 共演 ( きょうえん ) ( おこな ) われたりしました。
戦後 ( せんご ) 現在 ( げんざい ) (1950あたり~)
昭和 ( しょうわ ) 28 ( ねん ) にはテレビ 放送 ( ほうそう ) ( はじ ) まり、 舞台 ( ぶたい ) 中継 ( ちゅうけい ) されるようになりました。また、30 ( ねん ) には 海外公演 ( かいがいこうえん ) 再開 ( さいかい ) されたり、40 ( ねん ) 無形文化財 ( むけいぶんかざい ) として 制度化 ( せいどか ) されたりして、 近代化 ( きんだいか ) にあわせた 発展 ( はってん ) ( ) げました。 現在 ( げんざい ) では、 ( わか ) 観客層 ( かんきゃくそう ) ( した ) しむ 機会 ( きかい ) ( ) えたり、イヤホンガイドなどによって ( おお ) くの ( ひと ) ( たの ) しめる 工夫 ( くふう ) ( おこな ) われたりしています。その 一方 ( いっぽう ) で、 上演 ( じょうえん ) ( ささ ) える 技術者 ( ぎじゅつしゃ ) 不足 ( ふそく ) といった 問題 ( もんだい ) 発生 ( はっせい ) しています。

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