将棋の起源 〜其の弐〜

将棋はいったい、どこで考え出されたのでしょうか?
 
■将棋の起源(2) 豆知識
「チェス」と「日本将棋」の大きな違い

チェスも日本将棋も発生はいずれもインドですが、伝わった過程で大きく変化しました。もっとも大きな違いは、チェスは取った駒を使うことはできませんが、日本将棋は取った駒を味方の駒として再び使うことができます。これは日本将棋独特のルールで将棋の面白さを高めています。

中国の自負―「象棋」は中国人が創造したもの?

 中国には、古代に優れた文化を築き上げたという自負があります。したがって、中国では「象棋は中国人が創造したものだ」とする考えが一般的なようです。その証拠として、中国にはいくつかの説が伝わっています。たとえば、黄帝(伝説上の皇帝らしい)が創ったという説、神話に登場する神農氏が創ったとする説、戦国時代の兵法家が創ったという説など、いろいろあるようです。

 現在、もっとも有力な説は、周の武帝が創ったという説です。この他にも、象棋が古代から存在したという証拠が「象棋史話」「中国象棋史」に登場しています。しかし、中国の象棋史でもっとも不可思議なことは、唐の時代に「八八象棋」、つまり8×8の合計64升目の盤を用いる象棋が存在していたということです。
 この8×8の盤を使うゲームは古代インドにアシュタパタとチャトラガとして存在していました。つまり、中国には定着しなかったけれども、インドから伝えられた可能性が高いというわけです。また、モンゴルや、タイ、ビルマ、マレー半島で八八象棋が興じられていることから、唐の時代に近隣諸国に伝来したとも推察されます。すなわち、この八八象棋こそ、中国象棋の最初の段階であり、その後、中国でインドのものとは異なる形で、独特の象棋に発展していったと考えるのが妥当でしょう。

駒は、戦国時代の「軍隊」がモデル!!

駒は、戦国時代の軍隊をモデルに作っています。

大将 ― 玉 大砲 ― 角行
副官 ― 金・銀 鉄砲 ― 香車
歩兵・戦車 ― 飛車 軍馬 ― 桂馬
これらの駒が戦って敵陣をくずし、大将をつかまえるまでのゲームです。
 
なぜ、取った駒が使えるのは日本だけ? 
  現在の将棋がほぼ完成したのは室町時代。ちょうど、戦国時代の最中でした。領土の取り合いを巡って日々戦いが繰り広げられていたのです。もし、戦いに負けたとしても、その国の大将が降参すれば、部下は殺されることなく、今度は相手方の兵隊となって活躍することもできました。まさに「きのうの敵は、きょうの友」です。ここから、「取った駒も使う」という日本独特の発想が生まれました。世界のどこにもない日本のオリジナルのルールです。最近では、このルールに外国からも高い関心が寄せられています。
 ただし、日本の将棋でも、中将棋のルールは取った駒は使えないことになっています。中将棋では、麒麟、鳳凰など架空の動物なども含め、たくさんの駒を使います。
 
どうして将棋がうまれたのか?
  「インドの戦争好きな王様のお話…」
 むかしむかし、インドのあるところに、とても戦争の好きな王様がいました。いつも、いつも、戦争のことばかり考え、戦争が絶えることはありませんでした。国中の人々はみな疲れきっておりました。ある日、大臣たちは、王様に隠れて、こっそり相談しました。なんとか、王様に戦争をやめさせる、うまい方法はないものかと考えました。すると、一番若いけれど、とても賢い大臣がいい方法を思いついたのです。「王様に、ゲームで戦争をしていただいたらどうでしょう。」そして、
王様にいろいろなゲームを作って差し上げたのです。
 王様は、駒を使った戦争ゲームをたいそう、お気に召され、だんだん、ゲームに没頭するようになりました。そして、いつの間にか、本当の戦争のほうはどうでもよくなって、そのうちにすっかり忘れてしまいました。やっと、国には平和な日々が戻ってきました。めでたし、めでたし…。

解説
 コマを使った戦争ゲームは、将棋のはじまりだったのでしょうか?本当にあったような、インドのおとぎ話です。中国でも、戦国時代の兵法家が創ったとする説もあることから、将棋はこうした「戦争のシュミレーション・ゲーム」として発達したものと考えられます。
 

 
 

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