安部晴明 その生涯を辿る
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謎に包まれた陰陽師、安部晴明

伝説に彩られた出生の秘密

安倍晴明の超人的異能が花開く
鰐
魂謎に包まれた陰陽師、安倍晴明

 森羅万象を読み解き、自在に動かす希代の陰陽師がいたという。その名は安倍晴明。彼は、鬼神を自在に操り、占術をもって闇を見抜き、呪術をもって闇を制御し た。神格化され、伝説にのみその姿を現す、闇の世界に君臨した陰陽師安倍晴明とは、一体どんな人物だったのか。

 延喜二十一年(九二一)に生まれ、寛弘二年(一〇〇五)に 亡くなったと言われている。『尊卑分脈』や『安倍系図』等に よれば、右大臣安倍御主人から九代目の大膳大夫益材の子と言われ、享年八十五と記されている。

 記録によると、天徳四年 (九六〇)に天文得業生として節刀の形状を朝廷で諸事の先例や典故、日時や吉兆等を調べて上申したのを初見とし、以後、天文博士・穀倉院 別当等の官を歴任し、長保三年(一〇〇一)従四位下に宣下 され、同四年(一〇〇二)大膳大夫、寛弘元年(一〇〇四)左京権大夫となり、同弐年(一〇〇五)三月を最後に活躍の跡が見えない。
 『土御門家記録』には、寛弘弐年(一〇〇五)九月二十六日に他界したとあり、 この日は安倍晴明神社の例祭日となっている。

 晴明は、陰陽師・土御門家の祖とし て、陰陽五行説の壮大な宇宙論を展開し、「式神」と呼ばれる十二の鬼神を操り、魔を除き、天変地異を予測して国家の安泰を司っていた。
 式神の「青龍」「白虎」「朱雀」「玄武」の四神はそれぞれ東西南北の方位を守護し、現在も「風水」の 基本として我々の生活に根差している。
※官位に関して詳しくは官位相当表を参照のこと
魂伝説に彩られた出生の秘密

  『大日本史料』所引の『讃岐国大日記』や『讃陽簪筆録』によると、晴明は讃岐国の人だという。しかし、大阪市阿倍野区にある安倍晴明神社は晴明を祭神として祀り、社の前には「安倍晴明生誕伝承地」の標柱が建っている。

 晴明誕生の地については明確ではないが、彼が生前に行った数々の陰陽術故の事か、誕生について化生のものとしての伝説が成立していった。『臥雲日件録』に、晴明の事を「化生の者」と記されているくだりがある。

 一番伝説の中で有名なものは、晴明の父が狐を助けた事から、その狐は父の妻となり、生まれた子が晴明だとするものである。この、晴明は狐の子、と言う伝承は、芸能の世界にも残されており、有名なものとしては、古浄瑠璃『しのたづまつりぎつね 付 あべノ晴明出生』(延宝二年(一六七四))が挙げられる。他にも同様な話が見られる事から、晴明が狐の子であったという話は、そうとう古い時期から伝承されていたものと思われる。
※『信田妻』物等では、名前を「清明」とする
魂安倍晴明の超人的異能が花開く

 晴明は、賀茂忠行を師とし、幼少の頃より陰陽道を学んでい た。『今昔物語集』に若い頃の晴明の様子が伝えられている。
 ある夜、忠行の供をして歩いていると、晴明が鬼が歩いてくる事に気付き、そのお陰で忠行の一行は難を逃れたと言うものである。この事があってからと言うもの、忠行は晴明を手放しがたく思い、陰陽道の全てを彼に教えたという。幼い晴明の目に鬼が見えた事で、晴明の超人的な異能の力を見抜き、術の全てを教え込んだのだ。忠行が晴明の天性にいかに惚れ込んでいたかが分かる一節である。
 「此道ヲ教フル事瓶ノ 水ヲウツスガ如シ」。つまり、瓶の水を、そっくり他の容器に移すように教えたというのである。このおかげで、晴明はこの道で大変尊い存在になった。未来や前世など、闇の世界を見抜く晴明の眼は尋常のものではなかった。

 中世において、晴明の験力を伝える神秘的な説話は、色褪せることなく、様々な本に伝えられている。それらは、「説話を廻る」の頁に記載したので、詳しくはそちらを参照されたし。
 晴明は、賀茂忠行と、その子の保憲に天文道を学んだ。保憲は、晴明に天文道を授け、子供の光栄には暦道を授けた。以後、それまで賀茂氏が独占していた陰陽道は、安倍家(土御門家と称する)が天文道、賀茂家が暦道と、二流に分かれて受け継がれる事となる。
 安倍家は闇の世界を統率した謎と神秘に彩られた伝説的大陰陽師安倍晴明を、賀茂家は他人の見る夢の中まで侵入したという超人吉備真備をそれぞれ開祖としている。

 江戸時代、土御門家は陰陽師の実権を握り「土御門神道」を成立した。この土御門神 道の思想は、各神道の成立に大きな影響を与えるまでに至った。ちなみに源流である 賀茂家は、室町後期から次第に衰退の一途を辿り、江戸時代になると、土御門家に 「暦」の発行権を奪われ、それ以後、土御門家の天下が続くこととなる。しかし、土 御門家も、明治維新以後、陰陽道を廃止しようという世の動きより、明治政府に暦の 発行権を奪われ、結局力を失い、陰陽道は歴史から姿を消すことになる。明治以降、 働く場所を失った陰陽師は、一般社会へと下ることになる。それまで、最高国家機密 として処されていたものを、その陰陽師達が各地で、暦・吉祥占い・方位学等を教え たのが民間陰陽道として広がり、現在に至る。現在の九星占い・四柱推命等は、陰陽 道の遺産と言えるものである。