1.ピタゴラス音律

 

エーゲ海、サモアに生まれたピタゴラス(紀元前582頃〜493)は、世界に存在するすべてのことがらを数の秩序によって説明しようとし、秘密教団までつくって数の秩序の中で人生を送った。幾何学の有名な「ピタゴラスの定理」のように、ピタゴラスは協和する音の関係についても数的な秩序を導入しようとした。

 二十歳を過ぎたピタゴラスは、エジプトに留学して天文学や哲学、数理学などを学び、数の秩序を音の世界に適用することを試みる。古代オリエント文明の中心であったエジプトではハープやリュート、縦型フルートなどさまざまな楽器にあふれていて、ピタゴラスが研究するのにも都合がよかっただろう。

 当時、これらの楽器はオクターブや純正5度、純正4度などのもっとも単純な比率をもとに調律されていたが、音程と比率との関係は耳によってのみたしかめられ、関係を明確に体系的にまとめ、法則を発見するまでには至っていなかった。

 ピタゴラスは、音の実験をモノコード(1本の弦を共鳴箱の上に張り、駒を移動させながら音高を変える楽器)を使って行った。 そのとき、弦は12の部分に分割され、その一つひとつに基づいて12,9,8,6の4つの数を組み合わせながら、さまざまな比率が生み出されてきた。 この4種類の数が生み出す比率からは、オクターブ(2/1)、純正4度(4/3)、純正5度(3/2)、全音(9/8)の音程が得られる。

また、純正5度の堆積の繰り返しによって、5度圏を巡る12個の音が得られる。Cを開始音とした場合、C−G−D−A−E−B−F#というルートからの7つの音をとって音階上に並べると、C−D−E−F#−G−A−B−Cという全音階(ダイアトニック・スケール)となる。さらに、第4音のF#がルートのCの純正4度上にあるFに置き換えられ、有名なピタゴラス音律の音階が生み出された。

 ピタゴラス音律の音階では、その音高の比率はかなり高い数値になる。が、隣同士の音の間での比率を見ると、全音(9/8、204セント)と半音(256/243,90セント)の二種類しかないことがわかる。このピタゴラス音律の音階の全音は「トノス」、半音は「リンマ」と呼ばれている。リンマは平均律の半音よりも10セント狭くなっており,ピタゴラス音律を特徴づける音程である。

 このピタゴラス音律の大きな特徴として、3度の不協和性を挙げることができる。ピタゴラス音律の3度は「ディトノス」と呼ばれ,81/64という高い数値の比率となり、協和性の欠けた音になってしまう。なぜ、そのような事が起こってしまうのかというと、聴くことによって認知されるという協和性の性質の問題で、知覚と音程の関係における「単純な比率の音程ほど、より協和して聴こえる」という原理に基づいているからである。つまり、ユニゾン(1/1)やオクターブ(2/1)は最も協和した音程であり、3/2,4/3,5/4,6/5・・・といったように数値が高まっていくにつれ、協和の度合いが弱まってしまうということである。

 また、もうひとつの大きな問題として、「ピタゴラス・コンマ」がある。ピタゴラス音律において5度圏の操作を行い、最終的に元の音に戻そうとすると、わずかに高くなってしまうのである。純正5度は音程値702セント、現在広く用いられている平均律の5度700セントに比べて2セント大きい。5度圏の12回の操作によって2セントの12倍、つまり24セントの差ができてしまうということである。このわずかな差をピタゴラス・コンマといい、ピタゴラス音律の特徴のひとつである。もともと純正5度の堆積を基に作られた音律であるピタゴラス音律はその純正音程によってずれを生じさせてしまったのである。このわずかな音程のずれが、西欧音楽において音律理論、調律法などの分野にさまざまな影響を与えていく。そして、コンマ(微小音程)を何とか消滅させようとすることが、19世紀に12平均律が登場し、ピタゴラス・コンマの問題を解消するまでの音律の歴史を築いた大きな要素であるといっても過言ではない。