禅のことば


   茶聖千利休居土は「平常心」を茶の中に取り入れている。従って利休居士の
  道歌の精神は「四規」(「和敬清寂」のこと)であるということになる。
 「和」というのは7世紀初めの聖徳太子の十七条憲法にある言葉からでている。
  そして、この「和」こそどんな時代にも滅びない永久不変の真理である。
   つまり「和」という根本理念が茶道のどの部分にもあるということを知るべき
  で、これは茶だけでなく人間関係にもいえる。
茶道の秘訣は一心同体になること(客と亭主が)である。そのための念は「敬愛」 あり、ゆえに敬愛のまことこそ、一座建立の秘訣であり茶道の根本である。
清はきよらかさということでお茶においては茶事茶会を催すにあたって亭主は客 の道る露地を清掃して打ち水をしたり、客は露地を通り手と口を清めるというこ とにも表れている。つまり心身ともに一片の汚れなく清らかであるべきなのである。
「寂」は体験して自ら悟るということであり「道」の根源である。従って、 和、敬、清を通して自ら実践することにあると言える。和して敬い合い、清らかな 心をもって最後には自分が少しでもゆとりのある生活をするようにということが 「寂」に対する目標である。
日々新
日々新(にちにちあらた)とは明日よりもまず今日の心のたはらきをより大事に する心構え、そして充実した一日一日であるようにという喜びをもって日々を生き ていく人生を送るということである。
雪月花
雪は地上の美、月は天井の美、花は人間の世界の美であるといえる。そして茶道は 季節感を大切にしているが、「雪月花」は自然の景物の代表としてあげることがで き、茶道においては茶箱の中、花月の中に雪月花を取り入れている。
一期一会
「一期一会」の心は「今日」に対する大きな意義があるといえる。生涯の中でただ 一度の出会いである「今日」をこれ好日として大切にしたいという誓願がこの中に 込められている。
行雲流水
「行雲流水」とは炎熱の暑さにも厳寒の風雲にも耐え忍び、笠をかぶり草鞋をはい て歩く姿と、諸縁を放捨し、万事を休息し、執着心のない大らかな心をもって行く 雲のごとく、そして、流れる水のように悠々とした境地を目標しして、なにものに もとらわれない自由の心をいう。
日々是好日
「日々是好日」は毎日が好いひであるという意味だけではない。悲しみ、苦しみ、 楽しみなどのことに徹底することが大事であり、この良し悪しに対する執着が全く なくなってこそ、初めて「日々好日」ということになる。   さらにこの句から「初恋忘るべからず」とうけとめることもできる。
無一物中無尽蔵
無尽蔵の偉大な活力とは、すべてをつつみこむ天然自然といえる。これが利休居士 の見出した佗の世界で、無一物の境涯である。ゆえに「無一物」は、利休居士の 教示する直心の行為であるといえる。
禅僧の書いた墨蹟の中には語句の初め、終わりに「喝」の一字が書かれている。 これはもともと中国大陸の語で中国唐の時代の禅匠、臨済義玄禅師が修行者の 指導で策励したり叱咤するときに用いられた語である。現在では気合を入れる ために喝を入れるということがある。
「関」は禅において「透関」のことをいい、透関とはながい間の修行の結果、 ようやく悟りの目が開けたことである。日本の家庭にある玄関は悟りへの関所 である所以であり、だれでも勝手に入ることは許されないのである。
去々来々
「去々来々」とはあたかも波が寄せては返す様子を想い起こすのだが、これは一つ のことにとらわれない姿、自由なとこうをあらわした語句といえる。





front pageへ
上に戻る