Sir Winston Leonard Spencer Churchill(1874?1965)の政治


1.が1965年1月24日90歳でこの世を去るまで、英国の政治に
また世界の情勢にどのように関与したのでしょうか?

彼の名は現在の英国においても、他のどの国においても、その名言と行動において

他の政治家と異なりいまだに、親しまれ畏敬の念で受け入れられ

そして
記憶され、大政治家の比較の対象として生き続けています。彼は何を残したのでしょうか?
2.は、1900年25歳で保守党の議員としてマンチェスター近郊オーダムの選挙区で初当選し、
以後選挙区を転々と、死亡する前年議員を辞職するまでの64年間、

世界の政治になん
らかのかたちで関ってきました。劇的なことは、1940年5月10日

英国は未曾有の国難
に立ち向かうリーダーとして、無所属的1匹狼だった彼を選びました。

当時の彼は「近代政
治史上最大の冒険者」と評され、国王も「王冠をかけた恋」に賛成した彼を

不快に思っていま
したが組閣を命じ、保守・自由の各党も結集し戦争に勝利することになりました。
3.の生涯がどのような時代だったかを振り返って見たいと思います。
1877年  ビクトリア女王インド女帝に

1882年  英国エジプトの支配権確立

1886年
  アイルランド自治法英国会で否決

1893年  第二次アイルランド自治法再度否決

1899年
  南ア戦争勃発

1910年
  南ア連邦成立

1911年
  モロッコでアガデール事件

1914年
  第一次世界大戦参戦

1919年  パリ講和会議・べルサイユ条約調印・国際連盟誕生

1921年
  ワシントン会議

1925年
  金本位制復帰・ロカルノ条約

1929年  世界恐慌

1930年  ロンドン海軍軍縮会議

1931年
  金本位制停止・満州事変

1936年  独、ラインランド進駐・スペイン内乱

1937年  日中戦争・日独伊防共協定

1939年  第二次世界大戦・独、チェコ併合・ポーランド進撃・英仏対独宣戦

1941年 大西洋憲章・日本真珠湾攻撃

1943年  カイロ会談・テヘラン会談

1945年  ヤルタ会談・対独戦勝利・国連成立・ポツダム宣言・日本降伏

1947年  インド、パキスタン独立 抗争

1948年  ソ連ベルリン封鎖

1950年  朝鮮戦争

1956年  スエズ動乱・ハンガリー暴動
 
の生きた時代は、帝国主義各国の覇権争いと近代化過程の中で、被支配国の民族闘争が多発し

いろいろな社会改革上の矛盾をかかえ、全世界が苦しんでいた期間でした。

4は、「戦争においては決意、敗北においては不屈、勝利においては寛大、平和においては善意」で
ことにあたっていたと文筆物にのこしています。 そして彼が守ろうとしたものは、

大英帝国の失われつつあった威信であり、社会主義台頭と民族開放の時代における反革命で
した。

彼は、商務長官・内務大臣・軍需大臣・陸軍大臣・植民地大臣・大蔵大臣・海軍大臣


そして首相とこの期間の様々な問題を、政府を支える要人として

解決せねばならぬ重要な地
位に身を置いていました。また2大政党の英国において、

「保守党−>自由党−>保守党」の
経歴を持ち、選挙には21回臨み16回当選しましたが、

5回は落選を経験しています。
小選挙区の政治家と言うよりは、英国の政治家であり、

同時にヤルタ会談で示した戦後世界
の設計図でも分かるように

大局を見定めつつ常に大英帝国の位置付けを念頭におき、

突出し
た世界的視野の外交官であり、軍人であったと言えると思います。

米誌タイムは今年「今世
紀の百人」を選んでいますが、その中には当然彼の名があります。

彼は自己の豊富な経験に
基づく確立された信念と、

優れた先見性に裏付けられた政策を持った政治家でした。

又、
『鉄のカーテン』演説や他の著作物でも示されるように優れた歴史家でもありました。

彼はノーベル文学賞を1953年受賞、英国は最高の栄誉であるガーター勲章授与しています。