長岡市   
長岡市のしめ縄



製作の歴史
  小国地域では、町の大半が農業を営んでおり、そのかたわらで"みの"など生活に必要なわら細工を作っていました。
 昭和30年代後半に入り、わら製作を取り扱う関東の営業者から、当時の小国町役場に話があり「農家の高齢者でしめ縄を制作できないか」という依頼をきっかけに、しめ縄作り組むことにうなりました。当時は60人を超える人が集まり、「小国ふるさと民具組合」を発足し、最盛期には売上が600万円ほどの生産量となり、高齢者の生き甲斐となっていました。
 平成17年、長岡市との合併により、ミング組合を当センターに引き継ぐことになり、独自事業としてミングの製作を継承しました。しかし、近年高齢化が進み、事業に携わる会員が6人まで減少しており、生産量も最盛期の三分の一程度に落ち込んでいます。現在、講習会を開催して後継者の育成に努めています。

しめ縄製作に携わっている人の思い
   製作当初は「生活のためにたくさん稼ぎたい」「誰よりもいっぱい作りたい」という気持ちで作っていました。しかし、年を重ねる毎に「自分で作ったしめ縄で大勢の人に喜んでもらいたい」という気持ちに変わり、今では手にして下さった人たちに災難が一つでもなくなり、幸せが1つでもたくさん訪れますようにと願いながら、想いを込めて作っています。
しめ縄の製作過程(写真で紹介)
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