咸臨丸関係者

咸臨丸には、実に様々な人々がかかわっていました。 そこで、その人々を紹介していこうと思います。

勝海舟

咸臨丸船長 。幕府海軍奉行。幕末史には欠かせない人物

福澤諭吉

かの有名な福澤諭吉も福澤塾を開いた後、 万延元年の渡米使節随員として咸臨丸に乗り込んだ。

小栗忠順

ボーハタン号と咸臨丸に乗って遣米使として アメリカへ行った。勝海舟のライバルだったらしい。

笹倉桐太郎

運用方兼鉄砲方として乗り込み、 大いに活躍した。米国軍艦の礼砲に応えて、 当直将校の佐々倉が答砲した。

ジョン万次郎

土佐の漁民でアメリカに漂着。日米のはざ間で数奇な運命であったが、日本の外交にはアメリカ生活での経験を活かして大活躍だった。

ペリー

この人が来なければ日本はまだ鎖国状態 だったかもしれない、というほど。開国要求する ため、強引にも攻撃する予定だったらしい。

榎本武揚

1868年、8月19日に咸臨丸は 榎本武揚が率いる幕府艦隊に属して品川を脱走した。