〜アボリジニとは???〜

1788年にヨーロッパ人がオーストラリア大陸に始めて足を踏み入れた時、 すでにその地には先住民俗がいました。 その先住民俗こそがアボリジニだったのです。 彼らは今から4〜5万年前からこのオーストラリアに住んでいました。 当時の人口は30〜50万人と考えられています。ヨーロッパ人が侵略してきたことによって、 一時アボリジニは絶滅の危機に追われましたが、その少なかった人口も徐々に増えてゆき、 今では30万人(純血は10〜15万人)までになりました。それはオーストラリア全人口の約2%です。

アボリジニという呼び名は、『オーストラリアにもとから住んでいたものたち』と言う意味の言葉から由来します。 ラテン語の『アブ』と『オリジン』と言う「最初から」の意味を持つ言葉が結びついてできました。


〜アボリジニの生活〜

アボリジニがオーストラリアに渡ってきた時には、ブタやウシなどの家畜になる動物はまったくいませんでした。 そして、食用として育てるような植物もまたありませんでした。 そこで、彼等は狩りをしたり、木の実を採ったりして食事をすませていました。 アボリジニは手を使って獲物をとるのが上手です。 彼等は生け捕りにしたい動物そっくりに変装をしたり、体の動きをそっくりにしたりします。 カンガルーやエミューなどの大きな動物はヤリを使って捕らえます。 他にもヘビや亀など、野生動物を食べました。狩りは男の仕事であり、女は木の実採集と分かれています。

現在は、多くの部族が絶滅してしまったり、都会に移り住んでいるアボリジニもいます。 政府がアボリジニの保護政策を始めたのは1920年のことでした。 白人を影響を受けない土地に保護区を設け、市民権を与えました。 1993年には先住件が制定されて、昔から住んでいた土地には所有権が認められました。

今では、アボリジニの村と言っても平家の政府が建てたプレハブ住宅が並んでいるだけで、 昔のように洞窟などで住んでいる部族は少なくなっています。 それに加え、狩猟で生計を立てているわけではありません。子供は5〜15歳くらいまでは学校に通い、 若者の多くは村役場のもとで働いて賃金を得ています。その他の人々には特定の仕事はありません。 そういった人々は年金や福祉手当てなどを得て生活しています。 しかし、その一方で車で狩りや釣りに行ったり、伝統儀式で一晩中踊り明かしたりたりと、 近代と伝統の入り交じった生活を送っています。


〜アボリジニとブーメラン〜

オーストラリアのスポーツと言えばブーメランが有名でしょう。 世界最古のブーメランは南オーストラリアで発見され、約1万5000年も前のものと言われています。 くの字に曲がったブーメランは手から離れると勢い良く飛んでいき、飛ばした人のもとへきっちりと戻ってきます。 アボリジニたちは狩猟に使ったり、祭りや儀式の時にも用いたようです。 今では、3枚翼や4枚翼のブーメランを使ってスポーツの競技にもなり世界大会も開催されています。

〜アボリジニの芸術〜

<音楽 ディジュリドゥ>
ディジュリドゥはアボリジニが約1000年以上前から使用していた世界最古の管楽器と言われています。 この楽器はシロアリが柔らかい中心部を食い尽くして空洞になったユーカリの木の筒から作られます。 600種類ほどあるユーカリの木の中でもディジュリドゥに使用されるのはわずか10種類ほどです。 伝統的に、ディジュリドゥは男性の楽器とされ、ほとんどの部族では女性がこの楽器を吹くことは禁止されていました。
長さは1〜1.5mが標準です。しかし、それぞれ長さと太さが違うので音も様々です。
ディジュリドゥの音は低く、この音にはヒ−リング効果もあると言われ、祭りや儀式の他、病気の治療に使うこともあります。

<絵画 アボリジニアート・ロックペイント>
アボリジニたちは昔からとても器用に洞窟などに彼らの生活などの絵を残してきました。 それは、神のように思っていたカンガルーをはじめ、人物画など様々な絵があります。 中でもカカドゥ国立公園のものは保存状態もよく、毎年観光客が多く訪れます。