井上円了の『妖怪学』より

 妖怪研究史において、柳田國男より以前に井上円了という人物が明治二十年代、「妖怪学」についての研究を始めていた。板倉聖宣の解説記事によると、井上円了氏は新潟県長岡市に近い三島郡来迎寺村の慈光寺の住職の息子として生まれ、後には妖怪博士と呼ばれるまでに至ったらしい。近年、この井上円了の妖怪研究がクローズアップされてきている。東京帝国大学の哲学の教授でありながら、妖怪の問題を正面から取り上げたことで知られている。

 明治二十五年五月に『妖怪学』を著し、幼い頃より妖怪について関心を抱き、大人になってから妖怪の理を究めようとしたことを表白している。妖怪に関する様々な事実を収集しだしたのが明治十六年頃からで、ちょうど東京帝国大学文芸部二年在学の頃であったという。

 井上円了が始めて妖怪学に携わったのは、「不思議研究会」の活動からであろう。この会には当時の東京大学の殆ど有名な研究者が入っている。私も知っている坪内逍遥もこの会の一員であったとか。

そして、この会のマネージャーを井上円了がつとめたのである。この「不思議研究会」は、日本に伝わっている幽霊や狐狸に天狗、犬神、巫覡、人相見、予言等を集めてきて、これらを研究しようとする。その方向をメンバーが互いに熟知すべきであるとして研究調査を開始したのであった。

 井上円了は更に、『哲学界雑誌』を発行した。そして不思議庵主人というペンネームを用い、コックリさんの研究を始めている他、エキソプラズムについて、その正体を探ろうとして実験を行おうとしている。円了氏の一連の研究は、次第に体系立てられてきて、明治二十六年から二十七年にかけては『妖怪学』という名称で連続講義を行った。

 氏の主張によると、一般に世間では、妖怪などは無意味なもの、或いはくだらぬ無駄話であると考えるだろうが、迷信には違いないと思うが迷信であると断定するにはこれを客観化しておく必要があると言う。

 まず神秘的なもの、或いは天変地異の現象は、近代科学が発達すれば、殆どが解決されるであろうと言っている。近代科学を信じ森羅万象は合理的世界の中で分析されるものという前提がある。それらは理学、医学の領域で説明されるし、また、哲学の部門でも、陰陽五行説とか、易、おみくじ、人相及び家相、厄年などは、分析すれば必ず説明がつくものであるという。心理学においては、コックリさんや狐つき、幻覚症状、催眠術などが分かる。また、幽霊や人魂、御祈祷、御守などは、宗教学の分野で分析が出来るものだと述べている。

 怪異現象全てを部門別に分類し、日本人がもっている妖怪観を客観的に把握しようとしたが、氏のように象牙の塔である大学の中から出て、妖怪をはじめとする様々な不思議な現象の実態を調査するという方針をとったことは興味深い。東京帝国大学の教授が妖怪研究を熱心に行ったという事実には私も驚いた。しかし、妖怪研究者としてはこれまた名高い柳田國男氏の民俗学は、井上円了氏の妖怪研究とは相容れないものであったという。柳田國男氏の『妖怪談義』を見てみると、井上円了氏の『妖怪学』を肯定的には見ていないようである。

例えば、「化け物を否定した故井上円了博士」といった表現が見られたり、「ちやうど後年の井上円了さんなどとは反対に、「私たちにもまだ本たうはわからぬのだ。気を付けて居たら今に少しづゝ、わかつて来るかも知れぬ」と答へて、その代りに幾つかの似よつた話を聴かせられました」と述べて妖怪の意味付けをしようとしたりしている。

 柳田氏の立場から言うと、井上氏の妖怪学が、妖怪とは迷信の産物だと考えているところに問題があるらしい。柳田氏は妖怪を迷信とは見なさず、神とか妖怪の持っている人間との相互関係を見ようとした。柳田氏に因ると、迷信とは社会に害を及ぼすものであるが、妖怪を社会的に害悪の形にしたのは、人間の方に責任があるというのである。元々、妖怪変化を作り上げていく人間の精神構造が問題なのであり、これを科学的と称して調べていき、結果的に迷信として排除してしまうことを、柳田氏は批判している。

 しかし、井上円了氏が果たして妖怪全てを迷信として退けようとしたのかというと、『妖怪学講義』を見る限り、必ずしもそうではないらしい。氏は情熱を込めて妖怪学講義を進め、お化け博士として全国に知られるようになった。彼が実地調査に歩いた足跡は、実に一道一府四十八県二百十五箇所にも及ぶそうである。

 日本中至る所にあるお化け話を自らの足で調べようとしたという点においては、柳田氏も井上氏も趣旨は変わらない。井上氏は、普通の道理では解釈のつかない不思議な現象を妖怪現象とした。不思議だと考える感覚は誰にも共通してある。「不思議だと思われる対象」がつまり「妖怪」だとしたのである。一方柳田氏は「妖怪」を「神の零落した姿」とした。だから、神の研究と妖怪の研究は結びつくものであり、民俗学の一つの視点を示している。そして、神と妖怪との間に横たわっている法則性が、人間の心理の中にどのように構成されているのかを見ようとした。この問題は前述したように人間と自然との関係から生じたものである。妖怪を恐れたり、神を崇拝したりする観念がそこに生じているのである。井上氏の場合は不思議な現象とか解釈がつかない存在を分類整理していくとどうなるかという発想があるため、柳田氏の視点とは異なる部分があるというのは確かであるらしい。要するに、井上氏は妖怪を「怪異現象の総称」として捉え、柳田氏はいわゆる百鬼夜行絵巻などに登場するような妖怪のイメージをもって「妖怪」とした。井上氏の考え方でいくと、恐らく今日ではオカルトと呼ばれるものも含まれているのだろう。しかし柳田氏のいう妖怪は正に我々がイメージするような奇怪な姿をして御伽噺に出てくるような存在のことである。千里眼やUFOと鬼や幽霊を同じ次元で考えるのは難しい。だから両者の意見は噛み合わない、ということになるのだろう。

しかし、どちらにしても、妖怪は人間が作り出したもの、或いは人間の心の象徴そのものであるという点において相違はないといって良いだろう。

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