人魚

―「正体はジュゴン」説は一蹴する!

 人魚姫が陸の王子を恋するとか、伯爵が美女と結婚すると、それが人魚であったというメルシ ナ伝説とか……そういったアンデルセン的な人魚(マーメイド)の話はしなくても、日本や中国 や韓国だけで人魚の話は充分すぎるほどある。
 第二次大戦前に『動物物語』を書いて日本中の少年少女に″科学する心″を鼓吹した北大教授 大島正満は、人魚の話をするについて、中国の『稽神録』(けいしんろく)と『徂異記』(そい き)に見えている例を引いた。 『稽神録』の方は謝中玉という人が海上に出ていると、一人の婦人が水中から出たり沈んだりし
ていた。その容姿は陸上にもまれなほどの美人で、腰から下は魚であった、というもの。『徂異 記』には、査道なる人物、中国から高麗に使いして、海中に一女性を目撃する。下半身が魚体と は書いてないが、肘のところに紅いタテガミ状のものがあった。これまさしく人魚なり、とある。
 高麗は昔の朝鮮であるから、ともあれこれで朝鮮にも人魚を産する(?)ことは明らかになっ たが、私が平安南道平壌市で採集されたという不老長寿の娘の話に″人魚″が出てくるのを知っ たのは、ずっとあとのことであった。平壌市外の李鏡殊(イージンスウ)という漁夫が、海上で 美女にさそわれ(これは人魚ではないらしい)、龍宮へ行って一日を遊び、帰るときに、「人魚という土産」をも らう。ところがこの「人魚」、人にも魚にも似ていず、高麗人参にそっくりだった。これを食うと 不老長寿になれるというのだが、李鎮沫はすぐには食わずにしまっておいた。ところが一人娘の浪 奸がそれを食べてしまう。浪奸はたぐいまれな美貌と、何百年たっても変らない長寿を得た。しか し、それによって決して幸せにはなれなかった。子供も一人も授からなかった。しまいに三百歳を こえて牡丹台をあてもなく登っていったきり、行方が知れないという(『韓国の民話と伝説高句麗・ 百済編』)。
 日本にも人魚の肉は長生きの薬だという説はあった。雄略天皇のころ(四六九〜四八〇年)口碑 にのこる八百比丘尼(やおびくに)は何年たっても美しく年は取らなかったが、それは人魚を食べ たためだということだ。実吉達郎氏がベレンのゾーロジコ(動物園)でマナティーを長時間にわたって
観察した結論をいえば、
――あんなグロテスクな動物を、こともあろうに美人と決まっている人魚の正体だなんて、何 をいうか!実物を見てモノをいえ、実物を!ということだ。
 同じことは今では日本の動物園・水族館にもいるマナティーや、沖縄近海のアジモという海藻
の多いところにいて絶滅に瀕しているザンノイオ(ジュゴン)にも、またオットセイやアザラシ などの海獣に対してもいえる。動物として見れば、彼らはかわいいし、ユーモラスで愛すべき動 物だ。しかし人魚の正体とはとてもいえたものではない!
 見あやまったというのなら水中で仕事をしていた海女を誤認した、という説の方が、まだうな ずける。

 日本は海の国であるから、人魚の話も中国よりはるかに多い。それを記録にとどめた書物も 『和名抄』『和漢三才図会』『諸国里人談』『甲子夜話』『古今著聞集』『武道伝来記』といくらでも 挙げることが出来る。藤沢衛彦氏の作成した人魚の出現記録一覧表には、四八四年から一七五八 年にいたる、実に二三例が列挙されている。
 その中には、「ブラジルの妖怪」のイアラのような、淡水人魚もいたら しい。『北条五代記』に人魚は海にいることが多いが、川にもいるとある。山東京伝は『箱入娘 面屋人魚』という小説を書いた。瀧沢馬琴も『南総里見八犬伝』の中に人魚を登場させている。
 沖縄には、網にかかった人魚が、泣きながら津波の襲来することを予告し、信じて逃げた正直 者は助かったが、せせら笑って本気にしなかった者は海の藻屑となったという話がある。内地に も、人魚があらわれると暴風がおこるという説や、泣くこともあると書いた文献もあった。しかし中国には鮫人(こうじん)という「人魚まがい」がいて、流す涙が真珠になるというが、日本 にはそのような言いつたえはない。
 しかも鮫人から莫大な海中の宝を手に入れる話は中国に多く、日本には『広大和本草』に、人 魚を助けて海にかえしてやったら、お礼に美玉を持って来てくれた。それを売ったら数百両にな ったという話がある。人魚についての欲ばりな話は、日本ではそのくらいのものである。

戻る