シームルグ
――英雄をはぐくむペルシャの霊鳥――


古代ペルシャのカヤーニー王朝、蛇王ザッハークと戦って勝ち、百二十年の治世を保ったというマヌーチヒル王の信任あつきサームに、待望久しかった男の子が生れた。
美しくもたくましくもあって、申し分ない赤児であったが、ただ一つ悲しい欠点は、髪の毛が真っ白いことであった。むろん白髪の子は不吉であった。父サームは臣下の者や領民が何というだろうと悩み、絶望して、テヘランの北方にある山脈エルブルズの中に、その不祥の子を捨てさせた。
このため、『王書』(シャー・ナーメ)に伝えられて名高いこの話は、”白髪児ザル”と呼ばれる。
赤児は山中にあって指をしゃぶり、天を仰いでは泣き叫んだ。山頂近くに住んで雛を育てていた霊鳥シームルグは、その声をきいてザルを発見し、そっとつかみ上げて、わが巣に運び、養い育てた。ザルはシームルグの雛たちを兄妹とし、はじめはシームルグの血を飲み、のちには柔らかい獲物の肉を与えられて育った。
数年後、わが子を捨て去った罪悪感に悩まされ、堪えきれなくなった父サームは、家来たちを従えてエルブルズ山に登った。霊ある鳥シームルグはそれと悟り、「父のもとへ帰って名を挙げるように」と諭して、ザルをサームのいる山麓まで運んだ。
サームは聖鳥に育てられ、言葉や知識・信仰まで授けられて成長したザルを見て喜び、シームルグに心からの感謝を捧げた。ザルが父の国都へつれ帰られても、サームが気づかったように、白髪だからといって、かれこれいうような者は一人もなかった。
やがてマヌーチヒル王はサームとザル父子を召し出し、ザルは父の位を継ぎ、ペルシャ随一の英雄とうたわれるようになる……。
『王書』に採録された、この白髪児ザル物語は、現在のイランのレースターン、ザーブリスターン地方に古代から伝わる英雄伝説であった。シームルグはその中で、英雄の生いたち物語によくあるように「捨て童子」であったザルを優しく育て、父に帰し、世に送り出す役をしている。
ペルシャでシームルグが”鳥類の王”と呼ばれるのは無理もない。もっとも、ペルシャ神話にも、たとえば、「地球をおおわんばかりに飛ぶ」巨鳥であり、「その双翼をひろげて雨の降るのを妨害する」カマクなどという大へんな悪鳥もあらわれている。この悪鳥はサームの先祖の一人と伝えられるガルシャースプに征伐されたとゾロアスター教の伝承では語っている。この他にもガルシャースプは色々な怪物を征して、”イランにおけるヘラクレース”と称される(黒柳恒男『ぺルシャの神話』泰流社)。
そのような敵対者の悪鳥もいたのであるから、シームルグはまさしく正義、仁愛のがわに立つと考えられていたわけである。 

シームルグがそのような聖鳥であったとすると、それは太平の兆であり、その出現はそのときの王がまさしく天命を受けた名君、聖天子である証明とされていた中国の鳳凰に共通性を生じて来る。
その五彩七色にゆらめく長い尾羽や、猛禽のようなくちばしや冠羽のきらめかしさ、金色に輝く体なども、シームルグがペルシャ風の鳳凰であることを思わせる。
もっとも、シームルグはザルをはぐくみ育てるときの様子をみても、野鳥らしいところがあり、個性もあって、「その五彩のきらめきはそれぞれ仁・義・礼・智・信をあらわす」などと伝えられ、「梧桐でなければ住まず、竹の実でなければ食わない」などと「規範的に」伝えられる鳳凰ほど美化された存在ではない。
この規範的というのは北大の中国文学者・中野美代子氏の用いた言葉で、氏は鳳凰を、「現実のなにかをモデルにして発生したものではなく、まず観念のなかから規範的に生れたもの」であるとする(『中国の妖怪』岩波書店)。
しかし「観念のなかから」あれほどきらめかしい美しさが生ずるであろうか。やはり「現実のなにかをモデルにして」描き出されたと思う。そのモデルは、西域地方からもたらされたクジャクである。
いしくもインドクジャクは鳳凰孔雀と呼ばれている。聖天子も、道徳も求めたであろうが、むろん動植物にも最高の”美”を求めたであろう古代中国人は、クジャクを主体として、それにニワトリ、キジ、ワシ、オウム、インコなどをつけ足して、彼らの目で見て、最も美しいと思われた鳥たちを合わせて、一つの理想――想像上の霊鳥――鳳凰を作り出したのであった。
そうして、ペルシャのシームルグは、実在するクジャクを仲立ちにして、つながっている。インドクジャクはビルマでは太陽の中に住む聖鳥であり、ギリシアではヘーラー女神の使者であり、アフリカのコンゴやアンゴラでは「王家の鳥」であって平民は飼ってはならなかった。
そのように鳳凰孔雀(インドクジャク)は古くから各国に伝わり、ペルシャに伝わったものが、美化されて、ややワシのような猛々しさがつけ加わって、シームルグとなったのであろう。

さらに西へ向かうと、もちろん不死鳥フェニックスがいる。
西洋人のオリエンタリストは、東洋の瑞鳥鳳凰のことを知ったとき、何のためらいもなく、それをフェニックスと訳したり、同一視したりした。
元より鳳凰もシームルグも不死永生の鳥である。が、フェニックス(ポイニクス)にはさらに詩的な生のくりかえしが語られている。
フェニックスは一時代に一羽しかいない鳥である。その言い伝えの中心は、エジプトの「太陽の都」ヘリオポリスである。西暦三四年に、何世紀ものあいだ、姿を見せなかったフェニックスがエジプトに来訪した。多くの鳥類が大群となってそのあとに従って飛んでいた。人々は我を忘れてこの霊禽を拝み、ほめたたえて涙にむせぶ者もあった――と、ローマの史家タキトゥスは記している。
フェニックスの寿命は一千年、五百年、三百五十年と色々に伝えられる。寿命が尽きるときがくると、フェニックスの本来の住みか、天界には「死」ということがないのであるから、フェニックスは死を迎えるために下界へ下りてゆく。
彼はアラビアのかおり高い桂の小枝や乳香を集め、それらをたずさえてフェニキアの海岸につく(フェニキアというのもフェニックスが死を迎える地として、その名にちなんで、つけられた地名であった)。
その海岸で最も高い椰子の木の上に、フェニックスは運んで来た材料で巣をいとなむ。夜あけと共にその死は近づき、フェニックスはおのれの死を告げる歌をうたいはじめる。その声の美しいことといったら、天体の運行もそよ吹く風も止まってしまうはどである。
太陽の光が火となってフェニックスを焼きほろぼす。灰と化した死の床が冷えたころになって、フェニックスの遺骸の中から、幼虫のようなものがうごめき出る。これが次のフェニックスの雛なのである。不死鳥(フェニックス)はこのようにおのれの生をくりかえす。「不死鳥のごとくよみがえる」というのは、ここから始まったのである。
フェニックスの姿も、描けば少くとも一部はクジャクに似ている。実在する霊鳥クジャクは、このように三つの世界にそれぞれ最も美しく、詩的な不死の鳥王を生ぜしめたのであった。

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