私的妖怪論

 

今まで様々な参考文献をもとに妖怪や民俗学に触れてきた私だが、ここで我らが姫路出身である民俗学の権威、柳田國男氏に倣い、私も拙いながら自分なりの妖怪論を発表したいと思う。

まず、妖怪の出生について。妖怪が何故生まれたかを一概に語ることはできないと思うが、やはり代表的なものとしては「畏れ」によるものと思われる。古来、人々はアニミズムに基づいて生活していた。古来の人々にとってはこの世界は正に未知の宝庫であり、人々は自然界の全てに感謝と畏怖を持って接していた。そうした中から生まれてくるのが「神」と呼ばれるものたちである。人は太刀打ちできぬ大自然の力に神の存在を認め、その恵みに感謝して神の偉大なる力を崇める一方で祟りによる厄災や災害を恐れて神を祭った。そんな神々の中から「妖怪」は生まれたのである。太古の昔には神とされていたものがいつのまにかその負の部分だけを見られるようになり、「妖怪」という存在になったのだろう、と私は思っている。

勿論、私は、全ての妖怪が神の零落した姿だとは考えていない。これは「柳田國男の『妖怪談義』から」でも述べた通りである。しかし、妖怪誕生の根底にアニミズムが横たわっているのは否定できないだろう。

アニミズムによって生まれた妖怪の中でも、神とは関わりなく生まれた妖怪もいる。日本の狐や狸、いたち等に関する怪談などはこれであろう。アニミズムによって霊的存在を認められているのは何も水や炎、土などといったものばかりではない。自然界のあらゆるものに霊が宿る、というのがアニミズムである。つまり古代においては動植物達にも不思議な力があると考えられていたわけである。事実前兆動物をめぐる言い伝えは世界各国の殆どあらゆる民俗に分布しており、その殆ど大部分がれっきとした根拠を持つものであると分かっている。そこで、人間には読み取れない自然界の予兆を読み取る動植物達には恐らく霊力のようなものがあるに違いないと人々は考え、それが狐信仰等につながっていくわけである。そして、いつしか信仰を失った彼らは単に不可思議な力を持つものとされ、妖怪とみなされるに至るのである。

単に姿が無気味であるとか気味の悪い習性を持つ等の理由で妖怪化された動植物もいる。蛇などはその代表格であろう。あのような不気味な生き物であるからには、きっと恐ろしい魔力を持つに違いない、というわけである。全ての生き物に畏怖と尊敬を抱いていた古代人にとっては、手も足もなくヌラヌラと動く、それも毒を持つような動物は、恐ろしい悪魔の使いに見えたに違いない。

上記に挙げたのはいずれもアニミズムによって生まれた妖怪について述べたものだが、その他の妖怪出生の起源として、思想というものがある。人の思想が観念化して妖怪を生み出した例である。ある意味ではアニミズムから神となりそして妖怪となった妖怪と似ていなくもないのだが、決定的に違うのはもとになる自然現象がないということだ。思想から生まれた妖怪はあくまでもその思想に具体的な形を持たせ、抽象化された存在である。例えばドラゴンにもこの傾向は見られる。東洋における竜はアニミズムより生じたものである(「竜の正体」参照)。しかし、西洋の竜は心理学によって思想の怪物であるとされている。ここでの竜とは「人間の心に潜む破壊衝動」の象徴であった。また、麒麟は中国において仁の観念を形にしたものである(日本の妖怪「麒麟」参照)。このように、思想が妖怪を生み出すことも多々あったものと思われる。

では、妖怪とは一体何なのか。これについては上記の妖怪の出生と重複するのだが、やはり何らかの「象徴」であると言えるだろう。それが示すものが自然界の現象や動植物に対する畏怖なのか思想的なものであるのかは分からないが、いずれにしても妖怪は何かを象徴する存在である。今はその意味が薄れ、単なる愉快なキャラクター化してしまっている妖怪たちにも、遥か昔には何らかの意味があった筈である。

或いは、彼らは現代社会にいきる我々への「警告」であるとも言えるかもしれない。

今日、我々人類は、妖怪を感知しなくなってきている。妖怪などというものは非科学的なものであり、単なる妄想に過ぎない、と。大部分の人間がそう考えているのではないだろうか。しかし、妖怪は単なる妄想やキャラクターではない。本来はその大部分が自然界や動植物への畏怖や尊敬といった念を抽象化した存在である。だが、現代人は彼らをただの妄想としてしか認識できなくなってしまっている。これは、自然や動植物に対する畏怖が薄れ消えつつあることを象徴しているのではないだろうか。昔は人と周りの世界とは対等であり、故に周りの世界に対する畏怖や尊敬の念も生まれたのだ。しかし、現代に生きる我々は、世界は神秘でありかけがえのないものとしながらも、どこかで自然を有効利用することを考えてはいないだろうか。人間こそはこの世界をすべる存在であると驕ってはいないだろうか。そして、自然や動植物に対する感謝の念を失ってはいないだろうか。彼ら妖怪は、そんな私達の行く末を「警告」しているのかもしれない。

現代においては単に物語の住人やゲームのキャラ位のものとしてしか扱われなくなってしまった妖怪だが、その誕生の背景には我々人間の思想や感情がある。或いは狐の化身であったり、或いは水の象徴であったりするが、詰る所妖怪は人間に由来する存在である。妖怪とは私達の愉快な仲間若しくは忌むべき恐怖の対象であると同時に、先人類の化身でもあり、我々自身の思想の象徴であるとも言えるだろう

戻る