都市の妖怪

現代人の心の中には、古くからの信仰の名残的なもの、いわゆる潜在意識が残っており、それがいまだに妖怪を出現させたり、辻や境に対する不可思議な感情をもたらすのであると宮田登氏は言う。さらに、橋の上や四辻とかに何か不思議な現象が起こりやすい傾向について、現代の都市社会の中の犯罪としてしばしば取り上げられる通り魔事件を例に考察している。
 通り魔は「通り悪魔」という言葉で江戸時代からあり、現代でいう「衝動殺人」の意味があったらしい。何か異常な体験をし、ふと狂気して人を殺してしまう。この狂気はその人の平生の心がけによって生じるものであり、心がけ次第では追い払うこともできる。これが「通り悪魔」なのだそうだ。何か異常な体験、即ち「通り悪魔」に遭うことによって狂気してしまうらしい。因みに、この「通り悪魔」は白衣の髪振り乱した男の幻となって目の前に現れてくるものらしい。この誘いに乗ると、ふらふらと殺人を犯すような狂気に至る。そのときは意識不明で、後から思うと何がなんだかわからなかったけれどおかしくなってしまったという状態に陥るのだそうだ。
江戸時代には、しばしばこのような「通り悪魔」と称される形で衝動事件が起きていたといえる。その例が「髪切り魔」である。犯人が何者かは分からないが、気がつくと女人の髪の毛が元結のままばっさりと切られているという事件が起こったのだ。このような女の髪の毛を切り取る犯罪が、江戸時代、都会で恐怖の対象になっていたことは間違いない。そしてこれを通り悪魔として人々が見ていたであろうことが予想されるのである。
 この髪切り魔のように原因が分からないが突発的に切られてしまうという形は、客観的に見ると、都市犯罪であり、都市生活の中に起こる犯罪の一つである。現代でも似たような衝動犯罪は多発している。
 近年の都市型殺人には一つの傾向があるという。それは、ニ、三十歳台の若い女性が犠牲になるケースである。東京の萩窪で看護学生を殺した犯人は、二人の子供を持つ電気工で、妻は蒸発していたという。映画を見て刺激され、行きずりの一人住いの女性の部屋に忍び込み、騒がれて首を絞め、死体の一部を抉りとって持ち帰るという残忍な衝動事件であった。また、新宿のホテルで殺された女性は覚せい剤を打たれていたが、これは新宿の街角で偶然声をかけられた暴力団組長による殺人だった。これもたまたま出会い、ホテルに連れ込まれ、あっという間に殺されている。『警察白書』によると、昭和四十年代までは痴情のもつれや怨恨によるものなど犯人と被害者が密接な関係にある殺人事件が中心だったのが、近年の殺人では犯人と被害者の関係はきわめて薄い場合が多い傾向にあるという。そして犯人は、大都会のどこかに常に潜んでいるのである。
 勿論、その一方で、前もって綿密に用意された計画に基づいた計画犯罪も多発している。しかしこの場合も犯人はごく普通の人であり、犯人と被害者に接点がきわめて少ない場合が多い。ただ、こちらの場合は、「ふと起こった狂気」によるものとは限らない。長年蓄積されてきた何らかの想いがついに狂気となって世に現れるのである。
しかし、衝動殺人にしろ計画殺人にしろ、近年の都市型犯罪として異常犯罪が増えたことは間違いない。
そしてこれは、何処かが何か病んでいることを示す現代の世相なのである。
ある日町を歩いていて、突然説明のつかない事件に遭遇する。衝撃的な殺人事件に出くわすという事態が日常化しつつあるのである。
 十年以上昔のことになるが、『朝日新聞』に「都市の肖像」という記事が掲載されていたことがあった。その中に「街角にひらめく無告の狂気」というタイトルのものがあった。これは何を写しているのかというと、一九八四年三月一日の午後一時ごろ、中央区の銀座四丁目のタクシー乗り場の歩道で、看板がずたずたに切られているのを通行人が発見して警察庁に届けた。それを写真に撮ったものである。事件としてみれば単に看板に恨みをもつ者の犯行である、というだけだが、これを人にかえて考えてみると、人が人を切るとき、傷口にその思いが表れるという。小さく数の多いためらい傷、急所を深く貫く確信の傷、憎悪に燃えたメッタ切りというもので、まさに「通り悪魔」が形を変えて出現していることを表している。
 丁度この文を書いた日の夕方のことである。家に帰ってみると、何やらニュース速報が流れ出した。よく見ると、通り放火魔が現れ、男性が焼死したとあるではないか。その後ニュースで更に詳しい事情を見てみると、犠牲者となった男性は早朝ジョギング中で、地下道のスロープの辺りを走っていたらしい。すると死角となる角の辺りで突然ガソリンをかけられ、火をつけられたという。勿論被害者と加害者の間には何の面識もなかったそうだ。恐らく、犯人は被害者になるのが誰であっても構わなかったのだろう。このニュースを聞いた途端、私は現代に未だ「通り悪魔」なる妖怪が生き残っていることを戦慄とともに思い知ったのである。
 妖怪が人の作り出したものである以上、人が集まる都市に妖怪が生まれるのは当然といえよう。そして、現代ではくだらぬお話だの迷信だのと言われている妖怪たちの復讐がここに完成する。私たちは知らず知らずのうちに妖怪に憑かれてしまう可能性があるのである。これは誰にでも当てはまることであって、決してごく一部の特別な人の話ではない。そしてその誘いに乗ってしまった者は罪を犯してしまう。これが現代の妖怪と言える。
 もしかしたら、現代社会においては、自分を含めた人間全てが、気づかぬうちに心の中に妖怪を飼っているのかもしれない。
 そう、明日妖怪「通り悪魔」に憑かれて犯罪を起こしてしまうのは、貴方かもしれないし、私かもしれないのだ。私達はそれを念頭におき、常に心を平静に保っておかなければならない。さもなくば、いずれ自分も妖怪達の逆襲を食らってしまうことだろう。

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