大きなオーパーツ
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大きなオーパーツ



 大ピラミッド
 スフィンクス
 錆びない鉄柱
 セム人の石組み
 六枚屏風岩
 ナスカの地上絵
 飛行車ヴィマーナ
 ビミニの壁


大ピラミッド

ピラミッドの建造方法が未だに謎である、というのは有名な話だ。ピラミッドは約5000年前に建てられたとされているが、その時代に巨大な石を寸分の違いなく積み重ね、しかも有名なギザの三大ピラミッドなどは数千年間崩れずに四角錐を維持している。ピラミッドが潰れずに済んでいるのは、内部の「重力拡散の間」と呼ばれる部屋がピラミッド全体の重力を和らげているおかげらしい。もちろんこの構造は、高度な技術と知識を必要とするものだ。
さらには、材料である石の運搬方法も謎である。ナイル川を使って運ばれたらしいが、そもそも石の量が膨大であるし、例え船などを使って運搬したとしても石を岸に引き上げ、縄などを結び(あるいは台などに乗せ)、そこから建築場所まで運ぶ、などという手間をかけていては、到底建築に間に合うものではない。それに、ピラミッドに使用されている石は何tもの重さがあるので、それを運ぶ船を造るだけでこれまた膨大な木が必要になり(数隻で行ったり来たりしていても全くはかどらないので)、堂々巡りになってしまう。もちろん、陸路で運ぶというのは無理だ。石切場からピラミッドまでは遠く離れており(具体的なデータは現在手元にありません。後日追加します)、巨大な石を引きずって歩ける距離ではないし、時間ばかり無駄にかかってしまう。人手もばかにならない。
ちなみに、「これがピラミッドの建築方法である」というような発表もいくつかあるが、実際にピラミッド建築に成功した人はまだいない。
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スフィンクス

ピラミッドの横に並ぶスフィンクス。当初はピラミッドの守り神であるなどの見方もされてきたが、実はスフィンクスの方がはるか以前に造られていたらしい。
その根拠は、スフィンクスの体に刻まれた流水による浸食の跡。これまでは風で削られたと言われてきたが、浸食は縦方向のもので、風による横方向の浸食とは明らかに異なる。 これは、どうやら雨の跡であるらしいのだが、ピラミッドが建っているのはご存じの通り砂漠で、年間降水量は数cmもない。いくら数千年の年月が流れているとは言え、その程度の降水量でははっきりと跡が刻まれるような事はない。
つまり、スフィンクスは定説である5000年前よりもっと前、まだ砂漠が緑の地であった頃に造られたものなのではないか?
初めにこの説を唱えたのはロバート博士。1992年の事だった。彼の説では、スフィンクスは少なく見積もっても7000年から9000年前に造られたらしい。
また、スフィンクスの近くにあるスフィンクス神殿・渓谷神殿にもスフィンクスと同じようなの侵食の跡があり、どうやら同じ頃造られたらしい。
つまり、スフィンクスがピラミッドの守り神として造られたのではなく、ピラミッドがスフィンクスのうしろに造られたのである。
ご存じの通り、これまでは四大文明が人類最初の文明であるとされてきた。しかしスフィンクスは、四大文明より数千年前にあれほどの巨大な石像を造ることを可能とした文明があったことを示している。
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錆びない鉄柱

インドの首都・ニューデリーのメハラウリに、クトゥーブ・モスクというイスラム教寺院がある。その中庭に、アショカ・ピラーと呼ばれる鉄柱がある。高さ約9m(うち地上に6.9m、地中に2m)、直径は44cm、重さ約6トンである。
この鉄柱は、紀元4世紀に造られた鉄の柱である。インドは熱い国で、風雨も強く、錆がすすみやすい環境である。通常は簡単に錆びてしまい、1500年も経てばとうに崩れ落ちていてもおかしくはない。しかしこの鉄柱は、なぜかいまだに全く錆びず、きれいなままでたっているのである。
現代の技術では、錆を防ぐ方法はステンレスなどの合金加工しかない。しかしアショカ・ピラーはただの不純物を多く含む鉄である。
実は、鉄柱が錆びていない理由は、その不純物にあるという。
アショカ・ピラーには、通常よりも大分多いリンが含まれている(不純物と呼ばれるものの中に含まれている)。製造の際、どうやら鉄を型に流し込んでは叩き、その上にまた鉄を流し込んで叩き……という方法をとっていたらしい。その「叩く」というのがポイントで、熱いうちに叩くと鉄に含まれているリンが押し出されて表面に出、鉄と結合してリン酸鉄を造り出し、それが表面を覆って錆を防ぐ役割をしていたのだ。
古代インド人がリン+鉄=云々ということを知っていたわけでもないだろうし、つまり、このアショカ・ピラーは大いなる偶然の産物かオーパーツか、どちらなわけだ。
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セム人の石組み

バールベックという土地には、ローマの数人の皇帝が造った3つの神殿がある。それぞれユピテル、バッカス、ウェヌス(英語では、ジュピター、マーキュリー、ヴィーナス)という。 この3つの神殿は、シーザーがエジプトのピラミッドに感慨を受けて造り始めたもので、もちろん巨石で造られている。
三神殿の中で最も大きいのはユピテル神殿で、建立当時は高さ23m、直径2.2mの円柱が54本も立っていたらしいが、残念ながら現存するのは6本だけだ。それらの柱の土台は巨大なもので、神殿建立以前からその場所に置かれていたらしい。おそらくは先住民族セム人が造った異教神殿の一部であるといわれている。ユピテル神殿の最奥部の土台、基壇石(ボディアム)に使用されている切石は、建築物に使用された物としては史上最大とも言える大きさである。その中でも特に大きく、トリトン(驚異の3つ石)と呼ばれる切石が3個組み合わされた石組みは、高さ3m強、幅約4m、長さは20m以上、重さは3つとも650tをゆうに超えている。ちなみに3つとも石灰石である。
それだけでも凄まじいが、これらの石を切り出した石切場に残る石ブロックはさらに凄い。
石切場はユピテル神殿から南西へ1kmほど行った場所にある。そこに今でも切り出し作業の途中で放置されたと思われるブロックが転がっている。通称「南の石」がそれであるが、この石はなんと、高さ4.3m、幅4.6m、長さ2.4m、重さは1100t以上である。
ここまで巨大なブロックが必要だった理由は不明だ。また、運搬方法にも謎が残る。足場は平地から10mほど高い位置にあり、600数十tの巨石を1km移動させただけでもすごいが、彼らはその上10以上も石を持ち上げ、ぴったり組み合わせて頑丈な石組みを造ったわけだ。
それに、1100tの石を切り出したということはそれを移動させる方法も持っていたということだ。あるいは無計画に切り出し、数m移動させたところでこれ以上運ぶのは無理だという結論を出したのかもしれないが、少しは移動させているわけだし、いくらなんでも全くの無計画であったとは思えない。少なくとも600数十tの石を楽に運べなければそれ以上のものに挑戦しようとはしなかったはずだ。
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六枚屏風岩

南米ペルーのアンデス山中、オヤンタイタイボ。かつてインカ帝国の首都であったクスコの北の小高い丘の城塞遺跡に、「六枚屏風岩」と呼ばれる巨石建造物が残っている。
この遺跡はプレ・インカ時代のもので、太陽神殿として利用したらしい。
「六枚屏風岩」は、分厚い6つの花崗岩ブロックを横に並べた列石で、1つ1つのブロックの間には、4つほどの小さな突起がついた幅の狭い薄岩がはめ込まれてある。もちろん、隙間などない。花崗岩ブロックの大きさは不揃いだが、大体高さ4m、幅2.5ほど、厚さ2mほど、重さは推測50〜80t。ウルバンバ川を見下ろす絶壁の崖っぷちに位置する。
石切場は川向こうの山頂で、約10km離れている。つまりブロックは、そこで切り出されたあと330m引きずり下ろされ、川を渡り、150m引きずり上げられたわけだ。ちなみに川を渡ったところに切石が放置されてあり、この経路を実際に使用していた事を証明している。
現在、この建造物が造られた時代には、なんと車輪は発明されていないとされている。鉄なども使われていなかった。つまり彼らは崖を引っ張り上げるのに滑車を使用していないし、重量に耐えられる鉄の台を造る事もできなかったということである。
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ナスカの地上絵

大変有名なため、ほとんどの方がご存じだと思います。
ペルーのナスカ大地、その地面に描かれた大小さまざまな絵、それがナスカの地上絵です。
絵には様々な種類があり、人間、猿、ハチドリ、蜘蛛、トカゲなどの生物画から直線、幾何学模様、螺旋など記号的なもの。大きさは、小さいものは20m、大きいものは、例えばとある矢印は長さ50kmにも及び、生物画でも300m近いものがある。ちなみに現在発見されているのは、生物画などが800余り、直線では約13000本にも及ぶ。
この地上絵は、2000年前、付近で暮らしていたナスカ人によって描かれたとされています。
この絵は巨大すぎるため、地上からは絵として認識することができない。模様を把握するためには高度300m以上の上空から見るしかなく(上記の矢印は宇宙からしか見えない)、もちろん2000年前には飛行機などないため、その他の飛行手段(気球のようなもの?)を持っていたか、図形を正確に拡大し寸分のズレなく地面に描く技術があったか、、、、
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飛行車ヴィマーナ

インドには飛行機があったらしい。
というのも、数々の書物に古代インドには『ヴィマーナ』なる飛行乗り物が存在したと記されているのだ。
例えば、インドの聖典『ヤジェル・ヴェーダ』やインド2大叙情詩『ラーマーヤナ』『ヴァイマーニカ・シャストラ』。特に『ヴァイマーニカ・シャストラ』にはヴィマーナの飛行性能、設計構造、動力エネルギー、用途別種類などが細かく書かれている。
ちなみにヴィマーナの動力は水銀だったらしい。
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ビミニの壁

アメリカはフロリダ半島の東約70km、ビミニ諸島。その中の1つ、ビミニ島の沖にはビミニ・ロードと呼ばれる海底遺跡がある。
そのもっと沖に、マウンドと呼ばれる遺跡がある。魚と猫の形の白い盛り上がりが、上空からならばはっきり見える。
(写真は準備中ですが、偶然でできたという説は苦しいように感じました。)
ナスカの地上絵と同じように、上からしか見えない。どうやって描いたのか?
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