アッシリアの遺跡
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アッシリアの主な遺跡



アッシュール
ニネベ
カラク
ドゥル・シャルルケーン


アッシュール Assur

アッシリア帝国形成の基礎となった、ティグリス川西岸の都市。前14世紀後半から前883年まで帝国の首都だった。
「アッシュール」の名はアッシリアの主神アッシュールに由来する。現代名はカルア・シルカ
文献によれば、38の神殿があったというがその大部分はまだ発掘されていない。
初期王朝時代には、すでに交通の要所をおさえていたという。
アッシュールナシルパル2世が前883年に首都をカラク(ニムルド)に移してからは、宗教的な中心であった。
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ニネベ Nineveh

センナケリブ王が前700年頃から建設し、前612年の滅亡まで存続した、アッシリアの首都。ティグリス川東岸に位置する。
王城跡はクユンジュクと呼ばれている。
3千年紀まで続いたテルの上にアッシリアの王城がつくられている。
旧約聖書によると、12万人以上の人々が住み、巡るのに3日もかかる大きな街だったという。
5つの門を持った周囲約12kmの城壁で囲まれており、王城跡は2つある。1つは西辺のやや北寄り、テル状の(丘のような)もの。もう1つは南よりのナビー・ユーヌス、「予言者ヨナ」という意味を持つもので、これには「ヨナの墓」という伝説がある。
王城跡の南西にはセンナケリブ宮殿、北にアッシュールバニパル宮殿がある。この2つの神殿に付属する図書館(アッシュールバニパルの図書館)から、洪水伝説などを記す数万枚の粘土板が発掘された。
中央に、ニネベの守護神であるイシュタル神の神殿ナブ神殿が建てられていた。
●センナケリブ宮殿について●
建設に9年を要した、巨大な宮殿。センナケリブ王は、これを「並び立つものなき宮殿」と呼んだ。
庭園に水を引くために何マイルもの運河をつくり、宮殿内にはアルキメデスの回転翼で水を引き込んでいた。
門を支えるブロンズ製の柱は、とかした金属を型に流し込んで固めるという新しい製法で、センナケリブ王か王の技術者が考案したものと思われる。

●年表●
前7千年紀以前 すでに新石器時代人の小集落があった。
前3千年紀
(アッカド朝のサルゴン王時代)
エ・マシュマシュの神殿が建てられた。
前2千年紀 アッシリアの諸王が建築を競った。
新アッシリア帝国時代 多くの神殿や宮殿が建造された。
前700年頃
(センナケリブ王治下)
最盛期を迎え,市域は 700haに及んだ。
それ以後諸王の居住地となった
前630年以降 バビロニア,スキタイ,メディアの連合軍の攻撃を受けた。
前612年 メディアと新バビロニア連合軍に攻略され,破壊された。
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カラク Kalach

かつてのアッシリアの首都。ティグリス川東岸に位置する。現イラク北部のマウシル州ニムルド。
〈創世記〉には、「ニムロデの建てたカラ」と記されている。カラフとも呼ばれる。
カラクは、東西に長い不整形な長方形のような形をしていて、南西の隅に王城、南東の隅にシャルマネセル城砦と呼ばれる第2王城区があり、東辺中央と北辺北寄りに1つずつ門がつくられている。北にはジッグラトとカラクの守護神・ニヌルタの神殿がある。
神殿は合わせて6つ。
王宮の宮殿跡からは、宮殿装飾に使われた浮き彫りや人面有翼獅子像などが発掘された。
また、書神ナブとその配偶神タシュメトゥムの神殿や神殿図書室などを含む宗教建造物エジダには、多くの宗教書・魔術書が保管されていた。

●年表●
前1250年頃 シャルマネセル1世によって町の基礎が造られた。
前9世紀頃
(アッシュールナジルパル2世の治世)
王都兼軍事的首府に定められ、アクロポリスや市壁外の市街の拡張事業が行われた。
前798年 サンムラマト女王が宗教建造物エジダを建てた。
前7世紀 サルゴン朝の諸王がニネベを王宮として利用するようになり、カラクは衰退しはじめた。
前614年 新バビロニアとメディアの連合軍より破壊された。
前150頃 アッシリア滅亡後も王城跡に見られた小村落も、この頃には消滅し、完全な廃墟になった。
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ドゥル・シャルルケーン Dur Sharrukin

ニネベの東16km、ティグリス川左岸に位置する、アッシリアのかつての首都。現在のコルサバード。
サルゴン2世が建て、居所とした。サルゴン2世王宮の門は有翼獣身人面像浮彫などで飾られていた。
この遺跡は、1辺約1.75kmの不整な方形の形。7つの門を持つ城壁で四角に囲まれており(北西辺は城壁が一部付き出して造られている)、その北東辺に約 600m× 300mの内城が設けられている。内城の中にサルゴン2世王宮、ナブ神殿、ジッグラトその他大小6つ以上の建造物が集められている。それらはまったくの新都であるにも関わらず配置が雑然としている。また、南隅近くには皇太子の宮殿が造られた。
門には人面有翼の雄牛像が立ち、建物は浮彫、壁画、彩釉煉瓦などで豪華に飾られていた。新王都建設のために木を切り出し、運搬している光景も浮彫で表現されている。
サルゴン2世の死後、次王センナケリブがニネベに遷都(首都を移すこと)したため、この都市は未完となった。
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