ブータン神話
 top > 世界の神話 > ブータン神話


ブータン神話



 「ツォメン」
 「ドゥルック・ユル」


「ツォメン」

 昔々、ロ・モン国(現在のブータン王国)のウォンディポダン谷にあるシャ・レコカ村に、大変貧しい農夫が住んでいた。その頃はちょうど稲刈りの時期で、農夫は稲を刈り、束にして干すのに汗だくになっていた。
 そんなある日の夕方、農夫は朝からの農作業に疲れ、田のあぜ道で休んでいると、若い娘が山と積まれた稲束の側に立っているのがぼんやり見えた。夕暮れ時で、娘の顔ははっきりとは見えなかったが、来ている真っ白い着物は旗のようにひらめき、農夫の目にもくっきり映った。
『あの娘はこんな所で一体何をしているのだろう』
農夫がいぶかしげにじっと目を凝らしてみていると、娘はそれに気づいたように此方へやってきた。そして農夫に向かって尋ねた。
「すみませんが、今晩、泊めていただくわけにはいかないでしょうか?こんなに遅くなってしまって、私には泊まるところもないのです」
「そうしてあげたいのだが、うちはとっても狭くてねぇ。私と家族が寝るだけで精一杯なんだよ」
農夫は娘の突然の頼みに驚きながらも、すまなそうに答えた。
「では、この稲束の側で眠らせてください。それなら、あなたのご家族を困らせることはないでしょう」
農夫は渋々うなずき、若い娘にほんの一夜に宿も貸してやることの出来ない自分の貧しさを恥じながら、家へ帰った。

 翌朝、農夫は妻の叫び声で目を覚ました。
「起きて!早く来て頂戴。うちの田んぼが大変なことになっているわ!」
農夫は飛び起きて、声のする方へ駆けつけた。そして、目の前に広がる恐ろしい光景に仰天した。昨日まで稲刈りをしていた田は、突然、湖に変わっていた。その水面を農夫が懸命に働いて束にした稲が、プカプカと、まるで海の漂流物のように浮かんでいる。もちろん、農夫にはどうして急に自分の田んぼが湖に変わってしまったのか、分かるはずもない。ただ、これから一年の食料となるはずだった米を全て失い、家族もろとも飢えに苦しまなければならない、という絶望的な気持ちになった。
 呆然として立ちつくしているわけにもいかず、とりあえず鍬で湖の土手を崩し、水を外へ流そうとした。すると突然、「やめて!」という叫び声が聞こえが聞こえてきた。驚いて振り返ると、湖の真ん中に、上半身は人間、下半身は蛇の姿をしたツォメンが横たわっていた。
「お願いですから、湖を壊さないでください。今、ここは私の住みかなのです。その代わり、私があなたのことを助けてあげましょう。家へ帰ると、戸口の側に漆器で出来た小さな牛の置物が見つかる筈です。それを、米蔵へ置いてください。そうすればいくら食べても、米が減ることは決してないでしょう。でも、このことは絶対、誰にも話してはなりません。もし誰かに話したり、牛の置物をなくしたりすると、魔法は解けてしまうのです。いいですね」
そう言い残して、ツォメンは水中へ消えて行きました。
 半信半疑ながら、農夫は家へ帰った。すると驚いたことに、戸口の側にはツォメンの言った通り、小さな牛の置物が置かれていた。農夫は早速、それを蔵へ持っていくと、米袋の上に置いておいた。
 
 何年かが過ぎ、農夫はどんどん裕福になっていった。蔵にはいつもあふれるほど米が蓄えられ、余った米は売りに行くようになったからだ。そして、農夫はツォメンから牛の置物を預かって以来、決して湖を壊そうとしなかった。妻が、
「湖を壊して田んぼにしたら、もっと沢山の米を作って、もっと金持ちになれるのに……」
と提案しても、
「湖のある村は、幸福な村なんだ。だってほら、ここに湖ができてからというもの、私たちはこんなに裕福で幸せに暮らしてきたではないか」
と答えていた。

 又何年かが過ぎたある年の春、シャ・レコカ村ではその年の豊作を願い、飯粒で作った動物を神へ奉納する儀式を行うことになった。農夫は式が終わりさえすれば、奉納品はちゃんと返してもらえることになっていたので、飯粒の動物の代わりに例の漆器の牛を奉納することにした。もちろん、ツォメンの忠告も決して忘れたわけではなかった。置物の秘密は誰にも話さず、ただ式場にすえられた祭壇の上に並べて置いただけだ。
 しかし、同じ村のある金持ちの男が、それをこっそり見ていた。他の者は飯粒で作った動物を納めているのに、この農夫だけが漆器の牛を納めているのを奇妙に思った。そして、牛の置物をじっと見ているうちに何かしら特別の魔力を感じ、どうしてもそれを自分のものにしたいと思い始めた。
 ところが、男が置物に手を伸ばそうとすると、驚いたことに置物はスルリと他の動物の間を逃げるではないか。もう一度しっかり腕を伸ばして置物をつかむと、今度はまるで祭壇の上に固定されているかのように、びくとも動かない。男は何度も力を込めて置物を持ち上げようとしましたが、どうしても上手くいかず、とうとう諦めて家へ帰った。
 一方、農夫は眠りから覚めて辺りを見回すと、儀式は既に終わっていたので、牛の置物を持って帰った。そして、またもとのように蔵に据えると、相変わらず農夫の家には豊作が続いたのだった。
 
 金持ちの男はその後どうなったかというと、その日以来、男の田んぼには収穫期になると決まってイナゴが大量に発生し、稲が全滅するという災難が続くようになった。そして、とうとうしまいには、それまであった冨も財産も全て失い、哀れな貧しい農夫へ転落したのだった。
戻る


ドゥルック・ユル(=雷龍の住む国)の由来

 今から七百年以上も昔、今のチベットはタ・フン王国と呼ばれていた。そのラルン地方に一人の男児が生まれた。その男児は生まれながらに、南のロ・モン国(現在のドゥルック・ユル=ブータン王国)に広まる仏教の一開祖となるよう定められていた。
 その子はツァンパ・ジャレイ・イェシェイ・ドルジと言い、幼い頃から仏教に帰依して大きくなった。その頃、本国一偉いラマ(僧侶)、ペマ・ドルジがリンパからラルン地方へ教えを広めにやってきた。この時も、イェシェイ・ドルジは教えを聞きに集まった人々の一番前に座って、ペマ・ドルジの話を熱心に聞いていた。まだ年端もいかない子供の熱心さにペマ・ドルジはたいそう感心し、後々自分の弟子にすることを決めたという。当時のこの地方では、一族からラマがでるということは、この上ない栄誉だと考えられていた。だから、イェシェイ・ドルジの両親も、息子が高僧の弟子に加えてもらえることを知って心から喜んだのは言うまでもない。
 やがて、イェシェイ・ドルジは成人し仏の道の修行を一通り修め終えると、ペマ・ドルジからロ・モン国へ行き人々に仏の教えを説いて回るよう命じられた。そこで、僅かな御供を連れて師匠の元を旅立った。
 その後、一行は幾日も険しい山道を歩き続けた。そして随分歩いたのち、一行は岩だらけで所々にセバ・チャン・チュブ(野薔薇)があるだけの土地にでた。その時、イェシェイ・ドルジはこれ以上進むのは困難だと決め、この辺りにセバ・チャン・チュブ・ゴンパ(ゴンパ=僧院)という僧院を建てようと御供の者に告げ、すぐに僧院を建てる場所を探し始めた。まず、平らな土地を見つけるとそのすぐ傍に清らかな水をたたえた池があった。そして、火をおこす竈を作るのに適した場所も見つかり、僧侶たちはすぐさま竈を作ると湯を沸かしてお茶の準備を始めた。
 空には雲一つ無く、真っ青に晴れ渡った冬の日の午後だった。イェシェイ・ドルジと僧侶たちはお茶を飲みながら、どうやって僧院を建てるか話し合っていた。すると突然、何の前触れもなく、辺りに雷音が轟き渡った。イェシェイ・ドルジは驚いて天を仰いだ。しかし、空には黒雲一つ無く、真っ青な空が広がっていた。何か胸騒ぎを覚えながら話し合っていると、またもや雷音が轟き渡った。それも、前回よりずっと大きな音で。さすがに僧侶たちも、その凄まじさに脅え、長の顔色をうかがった。しかし、イェシェイ・ドルジは顔色一つ変えず、落ち着いてしっかりした声で僧侶たちをさとした。
「同士たちよ、あの雷音を聞いたか?あれは竜の雄叫びではないか?」
 イェシェイ・ドルジの叫びに僧侶たちも一斉に頷いた。
「あれはテンドレル・ザンポといって善き報せの証だ。このような天からの祝福を見逃してはならぬ。この地に僧院を建て、仏の教えを広めることにしよう。そして僧院はセバ・チャン・チュブ・ゴンパではなく、ナム・ドゥルック(天に舞う竜)・ゴンパと名付けよう。」

 その後、イェシェイ・ドルジの没後、彼の仏説は弟子たちによりドゥルック派として、ロ・モン国中に広められた。それによりロ・モン国はドゥルック・ユル、そこに暮らす人々はドゥクパと呼ばれるようになった。
 しかしこの竜は、西洋神話にでてくる恐ろしい怪物の竜とは全く性格が異なる。なぜならドゥルック・ユルの雷龍は、心優しく、無限の力を持つ国の守護神とも言うべき平和に満ちた性格を持っているからである。

 ブータン王国の国旗に描かれた白い龍は、ブータン王国を構成している様々な民族の団結と忠誠心を表し、口からはなっている真っ赤な炎は、天界にいて国を守ってくれる神の力強さを表しているという。そして、龍がその四本足の爪でしっかり抱えている宝玉は、ブータン国民の繁栄、平和、幸福を表しているという。
戻る



 top > 世界の神話 > ブータン神話