お米と歴史3 明治維新〜昭和

明治維新後
 明治維新の後、版籍奉還、廃藩置県のために、農民は政府に直接支配されるようになりました。また、身分制度が廃止され、農・工・商の人達を平民としました。政府は地租改正を行い、税率を持っている土地の地価の3%として定め、現金で納めさせました。しかし、地租改正によって農民の生活は逆にますます苦しいものになりました。同時に徴兵制度も行われ、農民は農村から働き手も奪われる形となり、新政府に対抗する農民一揆が多発しました。よって政府は税率を3%から2.5%に引き下げることになりました。
 経済の発達によって現金で物を買うようになりましたが、農村では現金が不足して借金をする農民が増えました。借金が返せず土地を手放し、小作人となったり町に出て労働者となる農民の増加がみられました。小作人となった農民と土地を貸す地主との貧富の差は大きくなり、小作人達は小作料の引き下げを要求する小作争議をおこしました。

大正時代
 第一次世界大戦後、日本は好景気になりました。日用品の値段はあがったのに、給料があがらず、人々の不満はましました。また、シベリア出兵をみこんだ米の買占めのせいで米の値段は2倍にはねあがり、富山県では主婦が米屋を襲う事件(米騒動)がありました。農村でも、地主相手に小作人が小作料の引き下げ要求をおこなう小作争議が増えました。小作人の全国組織として「日本農民組合」が作られました。

第二次世界大戦と敗戦後
 戦時中、日本は次第に食糧不足に悩まされるようになりました。物品や食料を自由に買うことが出来なくなり、人々は「配給」といって決められた量の物しか買うことが出来ませんでした。しかし、その国から決められた量では足りなく、闇市で売買する人や農村に食料を買出しに行く人が増えました。これは戦後もしばらく続きます。連合国軍司令部(GHQ)によって農地改革が行われました。その内容は、政府は地主の土地を買い上げて小作人に安く売り渡すもので、おかげで自作農家が1935年には全体の30.9%だったのに対し、61.9%にまで増えました。