平安時代になると国風文化が花開き、華やかな固有の衣装が確立しました。
                          
貴族にとって衣装はとても大きな関心事でした。というのも、地位によって衣装や持つものも決められていましたし
いかに衣装をセンスよく選び、自分の株をあげるかが大切だったからです。これが出来ない人は「もののあはれ」の分からない無粋な人と周りから失笑を買い、馬鹿にされたのです。それ位重要なことだったのです。そのほかにもどのような香を衣にたきしめるか、扇を持つか、いかに季節に合わせたものをさりげなく着こなすか・・・これらもとても大切なポイントでした。

正式の衣装では男女ともに長い布を後ろに垂らすなど、とても動きにくい格好でしたが、儀式や宴に堂々と参列するには立ち居の姿を立派に見せることが重視されました。

また、男女ともに顔に化粧をしていましたが、顔に塗る白粉は水銀が使われていることも多く、お歯黒とともに病気の原因になっていました。そのほかには唇には紅を、眉はすべて抜き目と眉の間を大きくあけて眉墨(まゆずみ)で別に書くのが普通でした。


また、衣装と、季節に合わせたお香(全く自分のオリジナルのもの)を調合して、たきしめているのが、当時の常識でした。ちなみに女性は、女の命と言われた黒髪にもたきしめていました。


男性の装束   女性の装束   襲ね(かさね)の色