当時の教養は、どのようなものだったのでしょうか。
教養は男性と女性で異なっていました。


男性は官僚貴族として身を立てるため、漢詩文の教養が絶対に必要でした。次に有職故実(ゆうそくこじつ)という、
宮中行事の決まりに通じていることも大変重要でした。
そのほか、習字、音楽、和歌が一般教養として求められていました。


女性は情操面が重んじられ、和歌、習字、音楽に通じていることが求められました。
和歌の上達のため、歌集の暗記も大切でした。
そのほか、和歌を書くのにふさわしい紙の色や質、墨の濃淡の工夫、
センスよく衣服の色目を選ぶこと、すぐれた香を合わせる能力、
普段の立ち居振る舞いについての心得も重要でした。

当時の貴族達は(特に女性)相当にひまを持て余しており、そのため様々な遊びが生まれました。
この頃の世の中では、遊びは貴族の生活そのものともいえ、出来て当たり前の、いわば教養の一種だったのです。
主流は室内的な娯楽でした。


最も盛んに行われていたのは“遊び”と称された音楽で、日常的に演奏、合奏をしていました。
こうした"管弦の遊び"では、管楽器(横笛、笙など)、弦楽器(和琴、琴、筝、琵琶)、
打楽器(太鼓、鼓など)を組み合わせて演奏しました。


また、"物合(ものあわせ)"も盛んで、主に貝合、絵合、歌合、薫合(かおりあわせ)などが有名です。
これらは、互いに優劣を競い合う、一種のコンテストのようなものでした。



このほか、囲碁、双六、舟遊び、絵画の制作や書道、物語の深く味わったりする事などもありました。


男性は屋外の娯楽として蹴鞠(けまり)、鷹狩、弓などがありました。