ソフィストとソクラテス

・ソフィスト

ソフィストとは、アテナ市民に弁論術や処世術を教えることによって収入を得ていた職業教師のことです。それ以前の自然哲学者が対象とした自然に代わって人間に関心を示しましたが、あくまで絶対的な真理を否定しました。また、弁論術や処世術で「うまく生きる」ことを説きました。それは、アテナの政治的支配の権威が失墜したと同時に、道徳や価値観の混乱を招く原因となりました。

プラトンは自著「ソクラテス」の中でソフィストたちのことをこう評価しています。

『・・・第一に、金持ちの青年たちを狩る金で雇われた猟師である。・・・第二には、魂のための知識を商う一種の貿易商人である。・・・また第三には、同じものを商う小売商人として現れたのではないか。・・・第四には、われわれの見るところでは、知識の自製販売人であった。・・・第五には、言論の競技における一種の競技家で、自分の領域として、争論術を限ったものであった』

またクセノフォンは「狩猟論」の中でこう記しています。

『ソフィストというものは、人を欺くために語り、自己の利益のために書くだけで、何人を少しも益することのないものどもである。彼らには、真の知者は一人もいない。ソフィストと呼ばれることは、心ある人々にとって、まさに恥辱である』

これらの著述にもあるように、実際ソフィストの中にはどうでもいいことを教えて金を取るような者もいたようです。彼らの哲学の出発点は「知識があること」であり、知識を求めることではなかったのです。このような点からも、ソフィストたちは真の哲学者とは言えないでしょう。

・ソクラテス

ソクラテスは、古代ギリシアにおける偉大な哲学者の一人で、プラトンの師にあたります。彼は道行く人々を捕まえては対話を行い、相手の論点の矛盾を引き出してみせました。そのため彼は政治家たちに疎まれ、とうとうアテナ市民をたぶらかした罪で捕らえられ、獄中で毒人参の杯をあおって死にました。

ソフィスト達に対し、ソクラテスは、自然哲学者が求めた真理の普遍性とソフィストが持った人間への感心を批判・総合することで、人間の生き方について問い、「ただ単に生きるのではなく、よりよく生きる」ことを目的にしました。そして、「理性の法則(ロゴス)に従った問答法によって普遍的・客観的な真理を求めていきました。

ソクラテスの問答法とは、相手を無知の知に導いていき、誤りから解脱させていくための方法でした。真の知の探究は、一方的に与えられるものではなく、自己矛盾や自己の持っていると思われる不確実なものを自覚するところにあり、問答を通して相手の了解や納得のもとにすすめられていくものであると示したのがソクラテスだったのです。知を求めることは愛知の精神であって理性を正しく働かせることにある、したがって理性によってすべての行為が導かれる、というのがソクラテスの方法で、このような方法を主知主義といいました。