宮沢賢治年表
BY 「LITTLE EDEN」様宮沢賢治年表 - - - 改宗時
※ 「推定」と書いてある箇所は年表を参考にしました
花巻市ホームページ製作者の方々の推定ということです。
 

日蓮宗改宗
父が家業の質屋を廃して、金物店に転業。
貧しい人から金銭の利益をとろうとする家業に、強く反発する。
そして妙法蓮華経への信仰をさらに熱烈なものにさせる。
そのため、日蓮宗へ改宗、国柱会へ入会。
さらに、浄土真宗であった父、家族にも改宗を勧める。
推定だが、この頃に「ペンネンネンネンネン・ネネム」、
「貝の火」、「参院兄弟の医者と北守将軍」を書く。

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上京、父との関西旅行 
1921.1→家族から改宗の懇願を受け入れてもらえず、無断で上京。
     国柱会本部で高知尾智耀氏に会う。
     彼の勧めで童話「どんぐりと山猫」、
    「鹿踊りのはじまり」等を書く。
1921.4→家からの送金も受け取らず、毎日菜食で生活する。
      そのあまりに質素な生活ぶりを気遣い、
      父が上京し会いに行く。
      そのまま父と二人で伊勢、比叡、大和地方を旅行する。
             その旅行のことを短歌で詠い、
      その後短歌から離れ、作詩に専念する。

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としの病気 
妹のとしの病気の報せを受け、帰郷する。
その頃、『愛国婦人』に童謡「あまの川」を掲載。