比治山高等女学校の3年生が司令部へ出動したのは、1945(昭和20)年の4月だった。 3クラスの中から50数名が選ばれ、その後30数名が追加され90名になった。 生徒たちは3つの班に分けられ、8時間ずつ、交代で勤務していた。 
 岡(旧姓大倉)ヨシエさんはそのうちの1人であった。 8月6日もいつもなら午前8時に仕事が終わり、交代のため壕の外に出るところだったが、次の班の朝礼が長引き、引き続き仕事をしていた。 それが幸いし、原爆の直撃を免れた。 しかし、反対に外で朝礼をしていた1班と3班の生徒は、その全員が亡くなった。 
 原爆が投下された広島の状況を他の司令部(福岡の西軍管区指令部と福山の歩兵41連隊)にはじめて連絡したのは岡さん、まさにこの人である。 そして、戦後はこのことを多くの人に語り継ぐことになる。
岡ヨシエさん
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