広島は世界ではじめて原爆が投下された都市というイメージが強いが、戦争をすすめる上で大事な拠点、軍都でもあった。 広島城には大本営や師団が置かれていたが、戦局が厳しくなった戦争末期には中国軍管区司令部が置かれた。 地下壕はその指令部の一部で、敵の飛行機の侵入をいち早く知り、警報を発令したり、作戦司令を出す重要な場所であった。 そこではなんと14、5歳の高等女学校の生徒90人が学徒動員で働いていた。 当時、一般市民はこれら軍事施設のある広島城に決して立ち入ることはできなかった。 
   
その最高機密の場所で、なぜ彼女たちは働くことができたのか。
どんな仕事をしていたのか。
地下壕の中はどうなっていたのか。 
8月6日の原爆投下の時はどうだったのか。

について、当時そこで働いていた人の証言をもとにこのページを作成した。

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