文学賞に選ばれなかった人たち
長いノーベル賞の歴史の中には、惜しいところでノーベル賞を落とした人達も、もちろんいます。1901年、42名のスウェーデンの作家や芸術家がロシアの文豪トルストイをなぜ落選させたか、という抗議活動を行いました。しかし実は、当時はトルストイどころか、ロシア人は誰も推薦されていない状況でした。このような理由で受賞されなかった作家たちは数多く存在します。ここでは、そんな選ばれなかった文豪達を取り上げてみました。
トルストイ(1828〜1910)
ドストエフスキーと並ぶロシアの大文豪。もともとは伯爵家の出身で、クリミア戦争に従軍し、その記録を書いた「セバストポリ物語」で国家的栄誉を得ました。超大作「戦争と平和」は名前だけなら誰でも知っている作品でしょう。80歳を超えてから家出をし、放浪の旅の途上で死亡。他には代表作に、情熱的な女と、貴族世界を描いた「アンナ・カレーニナ」等があります。
イプセン(1828〜1906)
ノルウェー出身。近代劇の創始者であると言われる人物です。8歳のときに家が破産、その後は劇場の座付き作者兼舞台監督、演劇指導者になるも、一座の解散などで職は定まらなかった不運の人です。しかし多くのの戯曲を書いた後、近代劇のさきがけと言われる「人形の家」を著すことになります。
カフカ(1883〜1924)
東欧のプラハ(現チェコ共和国首都)生まれのドイツ語作家。「審判」「城」などの特異で奇怪な作品で知られます。なかでも「変身」は不朽の名作。上記三篇は焼却するよう友人に遺言しましたが、作品を世に残すべきと考えた友人は彼の死後これらの作品を発表しました。それらの作品を通してカフカは、20世紀文学の代表者となりました。
プルースト(1871〜1922)
パリ生まれの作家プルーストは社交界の花形でしたが、後に持病の喘息に苦しめられます。そんな病床で創作に当たり、その中で創作されたのが、回想記であり画期的な心理小説の大作「失われし時を求めて」です。

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