(1).当初は
ノーベル賞も初期のころは「文学賞に選ばれなかった人たち」に書いたように不当な審議もありましたが、以後1950年代から著名な作家が選ばれていきます。しかし、70年代からは無名の作家を見つける発掘型の選考となって今につづいています。ちなみに、1902年のモムゼンや、53年のチャーチルのような歴史学者も文学賞の対象でしたが、チャーチル以後、純文学だけが選ばれるようになりました。
(2).辞退者
ちなみにこのような話があります。1964年、フランスの哲学者サルトルは文学賞を辞退しました。。文学賞辞退はこのサルトルと、旧ソ連の詩人パステルナークだけです。ただし、パステルナークは、政治的理由から(彼の唯一の小説「ドクトル・ジバコ」は出版禁止だったため、受賞時に「ソビエト作家連盟」は彼を除名。愛国心の強い彼は授賞式に出ると、もう祖国の土は踏めないと考えて受賞を辞退した)の辞退でしたが、サルトルは、自分が哲学者であるという強い自負からの辞退(サルトル自身は自分を哲学者と思っていたが、アカデミーは作家と判断した)でした。このサルトルの辞退に対し、アカデミーは不快感を表し、後のシモン氏の受賞まで、フランスの文学界を不遇にしてりました。しかも、シモン氏は反サルトル派の代表であったのです。ちなみに、現在の文学賞受賞者の国籍はフランスがトップです。
サルトルはこう言っています。
「ノーベル文学賞は、西側の文化を意図的に擁護し、東西対立を推し進めている。」と。

文学賞に選ばれなかった人たち

文学賞選考の仕組みと問題点