中世平泉寺はどんな町だったの?
平泉寺の住居ゾーン
平泉寺の僧侶たちが住んでいたのは中心宗教ゾーンをはさんだ南北両谷で、住居を「坊院」と呼びます。南谷三千六百坊と北谷二千四百坊、あわせて平泉寺には六千坊あったと言われています。

○道に石を敷こう!
坊院と坊院のあいだには幅1.8〜3mの石畳道がたてよこに張り巡らされています。この石畳道のすぐ横には幅0.3〜1mの溝が流れています。雨水や坊院で使った水を流すためのものです。

石畳道から見た坊院の入り口

石畳道(左)と坊院の入り口(右)

○石垣を築こう!
坊院は、斜めの地形をけずったり、土を盛ったりすることで、階段のように大きく平らな場所をいくつも作っていきます。このときに盛った土が崩れないように、石を積み上げて石垣を築きます。

坊院の石垣

矢穴(石を割るための穴)の残る石

○お坊さんはこんな家に住んでた!
これは、北谷二千四百坊の中の「地蔵院」という有力なお坊さんがいたという場所を発掘したものです。この地は、現在も「地蔵院護摩堂」という地名が残っています。17段の石段を登り切ると門があります。門の横には塀が巡っています。門をくぐると石畳道があり、道に沿っていくと中心になる建物があります。

発掘で見つかった地蔵院建物概要図

坊院に登る石段

石を敷き詰めた門の跡

地蔵院建物復元図

門と建物をつなぐ石畳通路

建物の柱を支えた礎石

建物裏の雨落ち溝

○計画的な都市を作ろう!

南谷坊院出入り口の設置状況
石畳道に面して坊院への出入り口があります。ある坊院の出入り口とその隣の出入り口との距離を測っていみると、24.5mまたは、その2倍の49mなど、決まった間隔で出入り口が作られていることが分かります。平泉寺には何百もの坊院がありましたが、皆がばらばらに家をつくっていったのではなく、みんなで相談しながら、計画的に都市を作っていったことが分かります。