室町時代の平泉寺

はい、質問! 平泉寺はどうやってお金や富をたくわえていったの?
 荘園から取った米に、高い利子を付けて貸しました。そしてそれを繰り返す金融活動をして、富を蓄えていきました。
はい、質問! 平泉寺が一番栄えた頃はどんな様子だったのかなあ?
 大変大きな富を誇った平泉寺は、領地を九万石・九万貫持っていました。
 そして平泉寺の中には48の神社、36のお堂、坊院(ぼういん)と呼ばれるお坊さんの家が6000建っていたといわれています。その建物の様子は、金や銀にきらびやかに飾り立てて、酒宴や歌声が一日中絶え間なく聞こえいたかもしれません。

中世平泉寺の推定復元図 (島村正博氏作成)

俺は3000石
を持ってるぞ
わしは8000石
を持ってるぞ
わたしは京都で
薬を売っています。
 波多野玉泉坊(はたのぎょくせんぼう)は3000石を領し、飛鳥井宝光院(あすかいほうこういん)は8000石を領し、日本で一番富を持ったお坊さんだといわれていました。他には、杉本坊栄祐(すぎものとぼうえいゆう)は大峰山(おおみねさん)で8回修行し、その法力で作った薬やお札を京都で販売していました。平泉寺のお坊さんは、大きな富を持った人たちがたくさんいましたが、一生懸命修行に打ち込んだお坊さんもいました。
飛鳥井
波多野
杉本
ここで、平泉寺のお坊さんたちに登場してもらいましょう。