戦国時代の平泉寺
越前は
俺のものだ
朝倉ごときに
越前はわたさんぞ
平泉寺は朝倉に
味方しようかな?
朝倉氏
平泉寺
斯波氏
甲斐氏
足利将軍
朝倉の越前支配
を認めておくか
 応仁の乱が始まり、戦国時代になると、越前でも朝倉氏(あさくらし)と斯波氏(しばし)・甲斐氏(かいし)が対立しました。斯波氏と甲斐氏は室町時代からずっと越前を支配していた人たちです。文明3年(1471)、斯波氏の家臣である朝倉孝景(あさくらたかかげ)は、力が強くなったので室町将軍足利義政(あしかがよしまさ)から越前国の支配を認められました。しかし、斯波氏と甲斐氏はこれに納得せず朝倉氏と対抗して戦いを繰り広げます。平泉寺もこの戦いに巻き込まれていきます。
 この戦いを勝ち抜いた朝倉氏は、文明13年(1481)越前を統一します。平泉寺も朝倉氏の支配下に入りました。そして平泉寺は朝倉氏の祈願所となりました。

はい、質問! すごく富を持ったお坊さんがいて、一乗谷とも仲良くなって、平泉寺は平和に暮らせるようになったのかなあ?
 80年ほどは小さな戦争はありましたが、順調に暮らしていました。しかし、織田信長が出てきて時代は大きく変わっていきます。天正元年(1573)、朝倉義景(あさくらよしかげ)は織田信長(おだのぶなが)に負けて一乗谷(いちじょうだに)から逃げていき、平泉寺の力を借りて、また信長に対抗しようとします。ところが、平泉寺は義景のライバルで大野を支配していた朝倉景鏡(あさくらかげあきら)と組んで、義景を裏切りました。義景は味方がいなくなり、大野で自殺してしまいました。
 そして平泉寺は、翌年の天正2年、越前国にいた一向一揆に攻め込まれて全て焼かれてしまいました。