ヨーロッパ移民がアボリジニーに与えた影響

- アボリジニーの人々とは? -

  オーストラリア先住民(アボリジニー)は、4〜5万年前からという長い間オーストラリア全土で狩猟採集生活や漁労生活を送っていた。18世紀後半から、ヨーロッパからのオーストラリアへの移民が来るようになり、アボリジニーの生活に大きく影響を及ぼすようになった。移民によって新しく入ってきた伝染病や、人種差別による強制移動が行われたことによって人口が激減した。18世紀以前までは、30万人かそれ以上の人口規模があったとされているが、1920年代には6万人になっていた。

 その後、旧来の差別政策は中止され、31.4万人(1996年)に回復した。現在は、アボリジニーの伝統文化は崩壊しつつある状況になっている。アボリジニー独自の言葉を話せる人々は4万人程しかいない。約200種類あるアボリジニーの話す言語のうち大半が、話せる人数が50人以下という状態だ。また、失業率も高く、教育水準も低くなってしまっている。

 日常会話にはオーストラリア公用語の英語などが使われている。クイーンズランド州、ニューサウスウェールズ州に最も多くが住んでいる。

 一部の先住民の人々が「アボリジニー」という呼び名を嫌うことが原因で、「オーストラリア先住民」という呼び方が一般的になりつつある。


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〜 ヨーロッパからの移民とオーストラリア先住民〜

 アボリジニーの人々は太古の昔からオーストラリアで生活をしていた。16〜17世紀に入るとオランダ、スペイン、フランス、イギリスなどのヨーロッパ各地からオーストラリアへ目指す移民が始まった。イギリス(当時は大ブリテン王国)のジェームス・クックは、1768〜1771年にかけてオーストラリアの探検し、オーストラリア大陸がイギリスの領土であることを宣言した。この時、先住民のアボリジニーの存在は無視された。そして、1788年からイギリスからの本格的な移住が始まった。

 イギリスからは移民はアボリジニーの生活に深刻なダメージを与えることになった。彼らは、豊かな土地や漁の場所を奪っていった。また、多くの原住民が銃器を使って殺害された。一部の先住民は、白人を「死者の魂」だと思い、それを歓迎した。しかし、多くの場合は、白人と先住民は敵対関係になっていった。

〜BY THE WAY〜

 白人の入植者によって、それまでそこに住んでいた先住民の人々が迫害されるということは、オーストラリアに限らず、北アメリカ大陸でも起こっています。アメリカ西部開拓の歴史の中でも、白人とインディアン(アメリカ先住民)の戦いはあります。インディアン強制移住法などで、先住民のチェロキー族などが僻地に追い込まれていきました。

 今では、アメリカ史の中で、恥じるべき事だと言われています。

 天然痘などのヨーロッパ系移民が持ち込んだ伝染病も、先住民の人々にとってそれらの病気に対して抵抗を持っていなかったので、深刻な問題になった。猫や狐、牧畜用の羊や牛などの動物も、それまでのオーストラリアにあった生態系を変えてしまったのだ。

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