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前半 / 後半 フラメンコのコンパスと呼ばれる独特のリズムなどからは独特の文化が読み取れる。イベリア半島に位置するスペインは、多様な文化・人種が入り混じった歴史が展開されてきた。フラメンコは、スペイン南部の「アンダルシア」で発生したとされている。しかし、この地方に古くから住んでいた人達だけがこの舞踊が作り出したのではなく、外から受けた影響も見られる。 そもそも「アンダルシア」という地名は、A.D.5世紀にこの地を支配したゲルマン人のバンダル族からきた名前だ。最初はバンダルシア、そこからアンダルシアに変わったとされている。しかしその前は「ベティカ」という名前でローマ人に支配されていた。このようにアンダルシアだけでなくスペイン全体の歴史は、支配階級の変化に伴ってその時々の思想や文化がめまぐるしく入れ替わっていることがしばしばである。 フラメンコ発祥の地であるアンダルシア地方は、多くの人種が交錯する場所だった。B.C.11世紀ごろ、北アフリカからのイベロ人とフランスからのケルト人、東地中海からフェニキア人、ギリシャの商人が地中海沿岸に植民した。 前3世紀には、北アフリカのカルタゴが侵入し、バルセロナなどの町の原型がつくられた。その後、カルタゴが去ったイベリア半島ではローマによる支配が5世紀まで続いたが、8世紀始めアラブ系ベルベル人率いるイスラム軍が北アフリカから侵入し、半島のほぼ全域を支配下におさめる。ここから、イベリア半島のイスラム教徒による支配がはじまった。 Q1. つまり宗教の視点から考えるとスペインには、ローマ帝国のキリスト教が最初に入ってきた後、ベルベル人のイスラム教がやってきたというわけですね。この時期の宗教的なニュアンスの強い芸術品などをおしえてください。
イスラム支配時代、首都コルドバではイスラム・スペインの文明が栄えた。イスラム美術や建築、医学、数学、哲学、文学が発展した。商業と農業の発展も促進され、独自の言語や政治制度を維持しながら、「西方の真珠」とたたえられるほどに繁栄した。現在も、コルドバにはイスラムの影響が残っている。
イスラム教徒が支配を確立する一方、北方からはキリスト教徒が徐々に勢力を拡大し、914年、ガリシア地方、レオン地方にレオン王国を創建した。カスティリャとレオンは統一と分裂をくりかえしたのち、1230年にカスティリャとして統一された。一方、北東部のカタルニャ地方はフランク王国によってイスラム教徒から奪回された。つまり、このころの(現在の)スペインには西半分のカスティリャ王国と東半分のアラゴン連合王国という二大勢力が併存し、それぞれ独自の言語や政治制度を維持しながら、イスラム教徒からの国土回復運動(レコンキスタ)をすすめていった。 Q2. キリスト教勢力下となったスペインで行われた「異端審問」は一体どのようなものだったのですか? |