日本の年中行事の大半は中国から輸入されて、平安時代には大半の形が決まりました。最初はいずれも宮中ないし貴族の間で行われていましたが、次第に民衆の間に下りてきて、江戸期には完全に庶民のものとなって今日に至っています。
ただ、これらの行事はいずれも旧暦の季節に合わせて作られているため、日付だけを太陽暦に合わせても季節感が合わないものが多いです。たとえば立春の一月三日は本格的な厳冬以前だし、七夕は梅雨の最中などです。そこで現在、年中行事だけはなお旧暦によっている所、あるいは一ヶ月遅れで行う慣例が多いのも、季節感を重要な要素とするこれら行事を少しでも本格的なものにしたい、あるいは近づけたいという願いのあらわれと思われます。

●日取りの傾向

年中行事の多くは正月と盆のある七月に集中していますが、毎月の行事の日取りにも一つの傾向があり、一日、七日、八日、一五日、二三日、二四日ごろが多いです。古くは満月、上および下弦の月のころを目安に農耕を行ってきたもので、それが固有の民俗信仰と結びついて、現在の形をなしたものでしょう。

●奇数の重なる月日→節句

中国では奇数を陽数として重んじたため、その奇数の重なる月日を節句としました。一月一日は元日なので、代りに一月七日(七草)とし、以下三月三日(上巳、ひな、もも)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽、菊)の五節句があり、いずれもそのまま日本に持ち込まれました。

●気候に則って

年中行事は一年間の気候に則ったものが多いです。むかし一年を春夏秋冬の四季に、さらに各季節を六つに区分し、冬至を含む月を十二支の最初の子とし、また冬至を起点として一回帰年を八節(立春、春分、立夏、夏至、立秋、秋分、立冬、冬至)に分け、その上、年間を総計二十四節季としました。下で紹介するように、とても季節感にとんだ名前がつけられています(下の月日は、現在の太陽暦の日付)。



〜季節と節季〜



 立春       二月四・五日
 雨水       二月一九・二〇日
 啓蟄(けいちつ)  三月五・六日
             …地中の虫が動き出す
 春分       三月二一・二二日
 清明       四月五・六日
 穀雨       四月二〇・二一日


 立夏       五月六・七日
 小満       五月二一・二二日
             …麦が出穂
 芒種(ぼうしゅ)  六月六・七日
             …麦を刈り取る
 夏至       六月二一・二二日
 小暑       七月七・八日
 大暑       七月二三・二四日


 立秋       八月八・九日
 処暑       八月二三・二四日
 白露       九月八・九日
 秋分       九月二三・二四日
 寒露      一〇月八・九日
 霜降      一〇月二三・二四日


 立冬      一一月七・八日
 小雪      一一月二二・二三日
 大雪      一二月七・八日
 冬至      一二月二二・二三日
 小寒       一月六・七日
 大寒       一月二〇・二一日