■ 親 子 た ち ■


まさに蛙の子は蛙!大江千里って、女に思われがちだけど、男だからね。なにげに在原業平がおじさん の文学者一家なのだ。

後鳥羽院と順徳院は、親子揃って左遷の身・・・。あはれ!だから、順番的に定家のあとに付け加えられた そうですヨ。

※親子関係追加です
僧正遍昭【12】素性法師【21】
僧正パパの出家の際に、「法師の子は法師がよき!」といって一緒に出家した素性法師です。サラッとすごい決心です。

陽成院【13】
元良親王【20】
ご乱行多かった陽成院の第一皇子・元良親王はご乱行はなかったものの、プレイボーイだったそうです。(陽成院の生まれについては、■カップル いろいろ■のコラムも見てネ)

謙徳公【45】藤原義孝【50】
息子・義孝は21歳の時に亡くなってしまいましたが、娘・懐子(かいし)の生んだ皇子が天皇になったおかげで、謙徳公(在俗時の名は藤原伊尹)は摂政太政大臣になり栄華を極めました。すごい。

大納言公任【55】権中納言定頼【64】
小式部内侍を怒らせて、60番の大江山〜の歌を詠ませてしまった定頼。公任パパは「女の子に意地悪いってはいけませんよ」と教えなかったのかな?

大納言経信【71】源俊頼朝臣【74】俊恵法師【85】
上の図にもありますが、大納言経信【71】おじいさまを追加でこちらにも。この源一族は芸術家気質だったようです!

法性寺入道前関白太政大臣【76】前大僧正慈円【95】
関係ないけど、法性寺入道が58歳の時に生まれたのが慈円さんです。昔の時代にすごいことだ。慈円は父の死後2年後、11歳で比叡山に入り、14歳で出家しました。

左京大夫顕輔【79】藤原清輔朝臣【84】
歌道の道に大変優れていた二人だったようで、堀河院・鳥羽院・崇徳院の3代にわたって親子で仕えていたそうです。

※上の図の儀同三司母【54番】と、左京大夫道雅【63】は「祖母と孫」の関係です
  また崇徳院【77】と道因法師【82】は、親子ではなく主従関係です!スイマセン


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