95番


出典:「千載集」より

おほけなく  うきたみに おほふかな
わがそまに 墨染すみぞめそで
前大僧正慈円さきのだいそうじょうじえん
■口語訳

身のほど知らずといわれるかもしれないが、この悲しみと苦しみに満ちた世の中の人々の上に、墨染の衣の袖をおおい掛けてしようと思う。
比叡の山に住み始めたこの私が、夜の平和を願って。    

■作られたワケ

慈円が若いころ平氏と源氏が戦い、木曽の義仲が都に攻めてきました。そして平氏が都落ちし、安徳天皇も西国へ行きました。 その上、大勢の人が伝染病で死にました。慈円はその時、この世の中を仏教の力ですくおうと思ってこの歌を作りました。    

13.html
■作者のプロフィール

前大僧正慈円(1155〜1225)
関白藤原忠通の子で、九条兼実くじょうかねざねの弟。11歳で比叡山に入り、14歳で出家しました。
天台座主てんだいざす を4度もつとめる一方、良経よしつね、定家とともに和歌に新風をひらき、また歴史書「愚管抄ぐかんしょう」を書きました。
もどる