1868年(慶応四年、明治元年)3月11日 
−永倉、原田新選組と決別−






勝沼の戦争に敗れた甲陽鎮撫隊(新選組)の永倉新八と原田左之助は一部の隊士をと共に江戸へ向かう。
しかし江戸で先に着いているはずの近藤がいなかった。
思いつく場所を探しても近藤に会うことができず、永倉と原田はやむを得ず会津に向かうことを決める。

そしてようやく近藤を見つけ永倉、原田は会津に行くことを告げて一緒に行かないかと誘った。
しかし近藤はそれを拒否する。
永倉と原田は新選組を離隊することを決める。
こうして江戸の試衛館からの仲間が2人いなくなってしう。
永倉と原田はこの後、靖共隊を結成する。





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