1863年(文久3年)6月3日 
−力士と喧嘩騒動−






不逞浪士の取り締まりをするため、大阪に出張していた芹沢鴨、山南敬助、沖田総司、
永倉新八、沖田総司、斎藤一、平山五郎、野口健司、島田魁の8人は京屋の小舟に乗っていた。
途中、斉藤が腹痛を起こし、鍋島河岸辺りで船を止めた。
そして一行は住吉楼に行こうとした途中の蜆橋ですれ違い力士が暴言を吐いたため争いになる。
新選組は稽古着に脇差という軽装な格好であったが力士を両断した。

そして一行は住吉楼に到着して斎藤を介抱するが、力士の仲間が手に八角棒を持って乱入してきた。
力士達、およそ30人。
外に出ての大乱闘を始める。
力士達は14名負傷、3名が深手を負う。
翌日、熊川熊次郎が死亡した。





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