1865年(元治2年、慶応元年)2月23日 
−山南切腹−






山南は脱走後、近江で1泊して沖田と共に屯所に戻ってきた。
この前川邸屯所で山南はすぐに切腹をする。
介錯は沖田であった。
また切腹の前に、島原の遊女の明里と前川邸西側の出窓越しに別れを告げたといわれている。
ちなみに前川邸西側の出窓は今ではなくなってしまった。



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