立て方には何説かありますが、ここでは1つ紹介します。 @ラノ=ララク山の石切り場でモアイの形にけずられる A穴を掘り、立てて細かい部分を彫る B木ぞりに乗せロープを大勢で引き、海辺まで運ぶ(6km動かすのに90人で3ヶ月) C台まで運ばれ、帽子をかぶせる D体の下に丸太を差しこみ、てこの原理で少しずつ浮かせたすきまに石を入れていく Eこれを繰り返し、徐々に立たせる(直立まで2ヶ月) |
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この島にはもともと亜熱帯林が茂っていましたが、モアイ建設用の木材やロープを得るためその森を破壊していきました。その結果、土地がやせ食糧不足に陥りました。島民たちは食糧をめぐって戦い、モアイは倒され、モアイの魂であった゛目"も壊されました。木がないため船も作れず漁業も移動もできないという悲惨な状況でした。 |
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島内の戦いとチリ地震による津波(1960年)によって破壊されたアフ・トンガリキ遺跡は、1992年に日本チームによる修復が決まりました。日本の建設会社などが奈良国立文化財研究所の指導で祭壇を再建し、1995年に15対のモアイを立て直しました。そのお礼で復元をゆるされたモアイが、宮崎県の『サンメッセ日南』に立っています。 |