西本願寺(京都府) |
|
正しくは本願寺派本願寺といい、慶長7年(1602年)に本願寺は東西に分立、西本願寺の通称で呼ばれるようになりました。単層、入母屋造、本瓦葺、高さ25m、東西42m、南北45mの本堂は、江戸時代の宝暦10年(1760年)に再建された重要文化財で阿弥陀堂ともいいます。
唐門 |
|
新撰組の屯所も |
|
「風呂敷」のゆらい |
|
|
池田屋騒動以降、隊士が増えた新選組は壬生の屯所では狭くなったこともあり、慶応元年(1865年)3月10日、屯所を壬生からここ西本願寺さんに移しました。西本願寺さんの境内に「新選組本陣」の看板を掲げ、北東にあった北集会所と太鼓楼を使用したのです。 |
|
秀吉はここのお風呂を使う際、とても美しい「敷物」をつかいました。使用したあとは、女房たちがこれをもらいうけ、小さく切って物を包んだので、「風呂敷」という言葉が生まれました。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
日本 |
西武士の力の象徴
・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼文化遺産 1994年登録
▼「行ってきました」へ |