ルネサンスの天才達

ダ・ヴィンチ

ミケランジェロ

ラファエッロ

 

ミケランジェロ・ブオナローティ
(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni)(1475年 - 1564年)

ルネサンス最大の巨匠

 ミケランジェロはルネサンスの彫刻家、画家、そして建築家でもありました。そして、レオナルド・ダ・ヴィンチや、ラファエッロと共にルネサンスの三大巨匠と呼ばれています。このミケランジェロこそ、「ルネサンス最大の巨匠」と考える専門家が多くいます。また、ダ・ヴィンチとは宿命のライバルであり、常に意識し合っていたと言われています。
 作品はルネサンスの時代から、マニエリスム(後期ルネサンスの通称)の時代への変化を表しているものが多くあります。また、今にも動きだしそうな表現は、後のバロック時代をさきどりしたとも言われています。
 ミケランジェロはフィレンツェで育ち、小さい頃から絵画や彫刻に興味を持ち始めました。そして、13歳の時、ギルランダイオに弟子入りしました。ギルランダイオはミケランジェロの才能に気づき、後のフィレンツェ支配者ロレンツォ・ディ・メディチに紹介しました。この間にミケランジェロはプラトン・アカデミーに集まる人文主義者たちやコジモの父ジョバンニなど、多くの人々と会うことができました。ミケランジェロは芸術に関する考えを広げることができ、後の作品に多くの影響を与えたのです。

彫刻

 芸術に関して考えることで、ミケランジェロは「絵画よりも彫刻こそルネサンスを象徴するのにふさわしい」と考え始めます。ミケランジェロは彫刻家として有名であり、ミケランジェロ自身も「私は彫刻家である」と言っています。彫刻では『ダヴィデ像』や『ピエタ』、『バッカス』、『モーセ』、『ラケル』、『レア』といった作品が有名です。ミケランジェロはこういった彫刻を制作するのに何年もの時間をかけました。「ユリウス(ローマ法皇ユリウス2世のこと)の墓」では、多くの仕事をまかされていたため、完成までに40年もかかっています。後に、ミケランジェロの制作した『ダヴィデ像』は、フィレンツェ共和制のシンボルとなっています。また、ミケランジェロは石を彫っている時に「彫る場所を石が教えてくれる」「彫っている途中に、そこまでだと声がする」と言い放ったと言われています。自分の芸術への自信から、依頼主の苦情を受け付けなかったとも言われています。
 そして絵画では、システィーナ礼拝堂の天井フレスコ画『天地創造』や『最後の審判』といった作品を残しています。また、ミケランジェロは、建築でも才能を発揮します。サン・ロレンツォ教会の設計や、サン・ロレンツォ教会図書館、メディチ家礼拝堂の新聖噐室(墓がある部屋)を建設しました。 ミケランジェロは、年老いてからも建設中であったサン・ピエトロ大聖堂の建築主任となり、建築をやめたわけではありません。しかし、構造上の問題や多くの設計変更で作業は思うように進みせんでした。そこで、ユリウス2世の計画を元に進められました。建築途中にミケランジェロは亡くなってしまいましたが、その時には、大ドームの墓部付近まで作業が進んでいたようです。
 ミケランジェロは他がまったく相手にならない程、偉大な業績を残し、後世に大きな影響をもたらした改革者でもあったのです。

 

Wikipediaより
Copyright (c) 2006 Information Design Team. Permission is granted to copy, distribute and/or modify this document under the terms of the GNU Free Documentation License, Version 1.2 or any later version published by the Free Software Foundation; with no Invariant Sections, no Front-Cover Texts, and no Back-Cover Texts. A copy of the license is included in the section entitled "GNU Free Documentation License" .

Name:English: Michelangelo's David (original statue) Deutsch: David von Michelangelo (Original aus der "Accademia" in Florenz)
Source:private photo
Date:24. Aug. 2005
Author:Rico Heil ((User:Silmaril))
PermissionGNU-FDL:
ダヴィデ像
アッカデミア美術館
 ミケランジェロのルネサンス芸術を象徴する作品のひとつです。ジカンテ(巨人)と呼ばれるダヴィデ像は、四方を敵に囲まれた共和制国家フィレンツェの自由のシンボルとして、フィレンツェ大聖堂に置くために大聖堂造営管理局から依頼されました。しかし、その後設置場所をめぐり議論され、ヴェッキオ宮殿前に置かれました。
 モデルとなった、ダヴィデとは紀元前10世紀頃のイスラエルの国王で、全イスラエルを統一し、ユダヤを救った救世主であります。
 それ以前では、ドナテッロによって作られた『ダヴィデ像』が有名です。手には剣を持ちゴリアテの首を踏み、幼い少年のダヴィデは優雅なフィレンツェの象徴でした。また、ヴェロッキオもダヴィデを彫っていて、モデルは工房の弟子レオナルドだといわれています。
 ミケランジェロは従来の『ダヴィデ像』ではなく、今まさに戦うことを決意した緊張感にあふれた一瞬の姿を彫り上げています。このダビデ像は高さ4mで、普通の彫刻家の5倍の早さで彫ったと言われ、ミケランジェロが2年7カ月かけて彫った傑作です。もし、完成した後にダヴィデがフィレンツェ市内を歩かなければ、ミケランジェロは壊そうと考えていたそうです。
 ミケランジェロは、このダヴィデ像を作るのに大きな石が必要でした。しかし、その大きさの石は数が少なく、見つけた石は他の芸術家が制作を放棄したもので、石の状態はひどく、数カ所に穴が空いていました。

 


Wikipediaより
Copyright (c) 2006 Information Design Team. Permission is granted to copy, distribute and/or modify this document under the terms of the GNU Free Documentation License, Version 1.2 or any later version published by the Free Software Foundation; with no Invariant Sections, no Front-Cover Texts, and no Back-Cover Texts. A copy of the license is included in the section entitled "GNU Free Documentation License".

Creator Name: Michelangelo Buonarroti
Alternative names: Full name: Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni
Date of birth: 1475-03-06
Location of birth:
de: Caprese Michelangelo bei Arezzo
it: Caprese (Commune di Arezzo, Toscana)
Date of death: 1564-02-18
Location of death:
de: Rom
en: Rome
Work period:
Work location:
de: Florenz, Rom, Toskana
Photo: Stanislav Traykov

ピエタ
サンピエトロ大聖堂
 これはミケランジェロの初期の作品です。この『ピエタ』は、公開当時から圧倒的な人気を集めていました。ミケランジェロ自身が自分のサインを書いた唯一の作品です。ミケランジェロが想像した、最も美しい女性と、もっとも端正(人としての品格をもっている)な男性を彫り上げたといわれています。
 『ピエタ』とは「悲しみ」「深くつつしむ」という意味を持つラテン語からきたイタリア語です。処刑され、死んだイエスを抱きかかえながら泣き悲しむ聖母マリアを、現実に登場させたといわれています。
 過去にも、多くの彫刻家が『ピエタ』を制作していました。しかし、若きミケランジェロが制作したピエタは、それまでに彫られた『ピエタ』の表現をはるかに超えていました。死んだ息子キリストを抱える聖母マリアの悲しんだ表情や筋肉、衣服の細かい描き方がとても優れています。
 この『ピエタ』の制作により、ミケランジェロは芸術家としての地位を絶対的なものにしました。そして、ルネサンス三大巨匠の一人となったのです。ミケランジェロは生きている間に四つのピエタを制作し、そのうちの三つは未完成といわれています。四つ目の『ロンダニーニのピエタ』はミケランジェロが、死ぬ直前まで彫り続けていたといわれています。

 

アダムの創造
システィーナ礼拝堂
 この作品は、1508年から1512年まで、およそ4年をかけて完成しました。システィーナ礼拝堂の壮大なフレスコ天井画です。『天地(アダムの)創造』と呼ばれるその壮大な天井画は、時のローマ教皇ユリウス2世の命令によって制作されました。
 ミケランジェロが、自分一人で描き上げた代表作の一つでもあります。テーマは、旧約聖書の創世記(聖書の第一段落)です。このアダムの創造は、その中の一場面を描いたものです。全てのものを創造した神は、神の形に似せた人間を創造したときに、五つのお祝を渡しました。ここでは、地球最初の人間アダムに命を吹き込み、地上の支配者というアダムの使命を与える瞬間が描かれています。中央の神とアダムの指先が触れる部分は、神の考えと命を人間に伝えることを表しています。創世記ではこの後、イブと禁断の木の実(リンゴ)を食べて罪を犯し、エデンの園(地上の楽園)から追放されたとされています。
 ミケランジェロはこの作品で人間の生命の尊さとその存在の大きさを表現しました。映画でも「ベンハー」や「E.T.」の名場面は、この作品を参考にして、撮影されたと言われています。
 しかし、ミケランジェロが好んで天井画を描いたわけではありません。彼は、この『アダムの創造』を描いているときに「神よ、私は意味のない時間を過ごしている」と言い放ったといわれています。ヴァザーリが書いた『芸術家列伝』には誰かの陰謀だったともあります。若き天才ラファエッロと腕を競わせて、ミケランジェロの評判を落とそうとしたのです。

Copyright (C) 2006-2007 Information Design Team. All Rights Reserved.ThinkQuest@JAPAN2007