C☆R調査隊
魅惑のクリスタルストーリー CRYSTAL☆RESEARCHER’S 〜水晶調査隊〜
*・・ 水晶の日本での歴史 ・・*

*・ 歴史の流れ ・*


正確に水晶が発見された年代は分かっていませんが、 釈迦堂遺跡 から 矢じり として加工された水晶が
見つかったことから、約7000年前の 縄文時代には水晶が発見されていた ことがわかります。

また、 銚子塚古墳 から 水晶製の勾玉 が出土したことから、約1600年前の 古墳時代には装飾品として加工
されていた
ことがわかります。

本格的に 水晶加工 がおこなわれるようになったのは 江戸時代後半 だそうです。
そのころに、水晶加工の技術を伝えたのが、 玉屋弥助 という人物で、 1804 ~ 1843 年にかけて水晶を買う
ために 京都山梨 を行き来し、 昇仙峡 にある 金桜神社 の神官に加工技術を教えました。

また、 金峰山 から 良質の水晶原石 がとれることを京都に伝えたのも弥助を通じてだったとか。

1869 年には 水晶鉱山の開発が自由化 し、神官や住人が競って採掘を始めたそうです。
1876 年になると甲府城内に勧業工場ができ、一部が 水晶加工工場 として、多くの技術者が育てられました。

明治半ば にはいるとに 水晶採掘の最盛期 をむかえますが、 1900 年以後の 乱掘 により水晶採掘が制限されるようになりました。

1910 年代にはブラジル産の 水晶原石 を輸入(今も続いている)するようになったそうです。
しかし、 1937 年の 日中戦争 により生産は止まってしまいます(終戦まで続く)。

さらに、 194576 日、 第2次世界大戦 の甲府空襲により、水晶加工設備・原材料が焼けてしまった
そうです。
水晶加工業がたちなおるきっかけになったことは、アメリカ兵が日本産の指輪を求めるようになったため
だったらしいです。

現在、 韓国台湾 で加工された安い輸入品が多くなり、日本国内の水晶加工工場の数は減り 、水晶鉱山がさまざまな理由から閉鎖されたりしています。

・・ エピソード@ ・・

日本で最初に 水晶に関する記述 が掲載された書物は 薬の本 だと言われていて、平安時代に 深根輔仁
書いた『 本草和名 』です。

その中には、 紫石英 が紹介されています。

紫色は高貴な色 とされていたため薬草と混ぜ、 不老長寿の薬 として、微量の 紫石英 が服用されていたそう
です。

・・ エピソードA ・・

江戸時代の中期(1709年)に儒学者の 貝原益軒 が書いた『 大和本草 』という薬辞典で、『 水晶 』と
石英 』が 取り違えられて記載 されています。

有名な蘭学者の 平賀源内 が書いた『 物類品隲 』 (1763年)や、 木内石亭 の『 雲根志 』(1773年)の佐渡島の 紫水晶 を紹介する節でその間違いが指摘されているそうです。

しかし、 2つの意味は取り違えられた方が一般化 、現在に至っています。


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