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第三セクター

第三セクターとは

日本国有鉄道(現在は消滅)のように日本国が経営している「公企業」を第一セクター、東京急行電鉄のように民間が経営している「民間企業」を第二セクターと呼び、前述のどちらにも属さない、地方自治体と民間企業が共同出資して事業を経営する企業を一般的に第三セクターと呼びます。鉄道業界でこのような形態の会社が話題となり始めたきっかけとしては、旧国鉄の赤字路線廃止の議論に際して、赤字路線を存続させるために地方自治体などが事業に参入するようになったのがきっかけです。近年では赤字路線の第三セクター転換だけでなく、新幹線の開業によって並行していた在来線が経営分離という形で第三セクターに移行される事例が多くあります。

メリット

メリットは、自治体との密着民間企業のノウハウを活かした積極的かつ地元の実情に合わせた柔軟な施策を行いやすいということが挙げられます。

デメリット

デメリットは、もともと経営状態の悪かった路線を引き継ぐケースが多く、また資金力のなさから黒字化も容易ではないことが挙げられます。第三セクター化したは良いものの、成すすべも無くしばらくののち廃止に追い込まれてしまうケースも見受けられ、その場合はただ投入された多額の税金や資金が無駄にされることとなります。

三陸鉄道の事例

日本で初めて第三セクター化を行った路線は、東北地方太平洋側で鉄道路線を運行している三陸鉄道です。現在三陸鉄道が走っている路線は、もともと国鉄が建設・運行していた路線を引き継いで運行しているものです。東北地方には戦前より東北地方太平洋側を縦断する「三陸縦貫鉄道構想」という路線構想がありました。この計画を形にするべく、戦前から戦後にかけて断続的に路線が開通してゆきました。

しかし、構想の達成まで吉浜駅 - 釜石駅間15.2kmと田老駅 - 普代駅間32.2kmを残したところで国鉄の経営悪化のため路線建設が凍結されてしまいました。更に追い打ちをかけるように1980年には赤字路線の廃止を目的とする国鉄再建法が成立し、すでに建設されていた宮古-田老間(宮古線)、盛-吉浜間(盛線)、普代-久慈間(久慈線)が廃止されることとなりました。未完に終わった合計47.4kmの区間はレールの敷設がほぼ完了していたため、岩手県と沿線市町村は1981年に第三セクター「三陸鉄道株式会社」を設立、建設が凍結された区間を引き継いで完成させるほか、廃止予定の3路線をも引き継いで運行することになりました。

こうして1984年に開業したのが三陸鉄道で、宮古-久慈間の北リアス線、および盛-釜石間の南リアス線の2路線に分けられました。運賃の値上げ経営の合理化によって開業後の10年間は黒字経営を実現し、国鉄から転換された初の第三セクター鉄道であったという話題性や三陸海岸への観光客が三陸鉄道を多く利用したことによって三陸鉄道は成功した他、この鉄道をモデルとして他の地域における第三セクター移管の動きが全国的に行われました。

新幹線の開業に伴う第三セクター化

前述の通り、新幹線の開業に伴って第三セクター転換が行われた事例もいくつか存在します。中でも代表的なものが、あいの風とやま鉄道・IRいしかわ鉄道です。2015年3月のJRダイヤ改正によって北陸新幹線の長野~金沢間が開業し、並行しているJR北陸本線は経営分離という形で廃止、第三セクター路線に移管されました。

もともと北陸本線では「はくたか」と「サンダーバード」という特急列車が運行されていました。これらの列車は利用客も多く、人気の特急列車でしたが北陸新幹線の開業によって競合する特急列車が整理され、「サンダーバード」の運行区間縮小や「はくたか」の廃止など運行形態が大きく変化しました。特急が廃止になったことによって利用者の減少が予想されましたが、沿線に高岡や富山、魚津など通勤通学需要も多い地域を路線が通っていることや、有料通勤ライナの運行などの新たな施策により、同社は利用者の大幅な減少を避けることに成功しました。

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