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放射線についての理解を深めていただくことが私たちの願いです。
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3.放射線の歴史
ベクレルと放射能/キュリー夫妻とラジウム/ラザフォードと原子構造
放射線や放射能が発見されたのは約100年前で、実はかなり最近の出来事なのです。
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1896年アンリ・ベクレルは、物質が電磁波の仲間である光を吸収した時に、同じ電磁波であるX線を出すのではないかということを研究していました。当時、X線はヴィルヘルム・レントゲンによって発見された初の放射線でしたが、まだ放射性物質や放射能の存在は確認されていませんでした。
ベクレルは研究のためにウランを含む試料を光に当てなければなりませんが、偶然曇りの日が続いたために試料を光に当てることができませんでした。ベクレルが試しにその試料がX線を出していないかどうか調べてみると、光を当てていないはずの試料が、X線ではない別の放射線を出していることを発見しました。研究の結果、放射線はウランの濃度に比例していることがわかりました。
これが放射能・放射性物質の発見の経緯です。
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アンリ・ベクレル(1852~1908)
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次はウラン以外の放射性物質の発見とその不思議な性質についての話です。
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1898年マリー・キュリーは夫のピエール・キュリーと一緒に、放射線の電離作用を観察によってトリウムを発見しました。また、ウランの鉱石中にウラン以外の放射性元素が含まれていると予測し、ポロニウム・ラジウムを発見しました。
特にラジウムの発見は多くの科学者の注目を集めました。なぜなら、とても強い放射能を持っていたため、様々な不思議な性質を持っていたからです。たとえば、常に青く光っているように見えたり、びんに入れたラジウムをポケットに入れておくと、火傷したような炎症を起こしたりしました。
何よりも注目を集めたのは、ラジウムがエネルギーを出し続けたことです。放射性物質はいつか放射線を出さなくなりますが、ラジウムは半減期が約1602年と非常に長かったので、当時は永遠に放射線を出し続けるように思われました。
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マリー・キュリー(1867~1934)
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原子は、原子核の周りを電子が回っていると言われていますが、この構造が分かったのは放射能の研究があったからです。
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1902年アーネスト・ラザフォードは、放射線は原子が崩壊して別の原子になるときに放出されるものであるという、当時の常識を覆すような仮定を発表しました。なざなら、原子は物質の根源であり、それ以上分割したり、変化することがないと思われていたからです。
1905年にはアルファ線の正体がヘリウムという原子の原子核であることを提唱しました。
1911年には「原子は原子核と電子から成り立つ」という、今私たちが信じている原子構造を提唱しました。
ラザフォードはこれだけにとどまらず、α線・β線の発見、中性子の存在の予言など多大な功績を科学史に残しました。
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アーネスト・ラザフォード(1871~1937)
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