日米修好通商条約

1853年に日本と米国総領事ハリスの間で結ばれた日本最初の通商条約。
ハリスは日本にアメリカとの貿易を始めるよう強く要求する。 幕府の大老である井伊直弼は反対意見を押さえ込み、朝廷の許可を得ずにアメリカの要求に答える。

14条からなるこの条約は、
・神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港
・領事裁判権の承認(アメリカ人が日本で罪を犯しても日本では裁くことができない)
・協定関税制
など、不平等な条約だった。

この条約を結んだことにより、幕府は激しい批判を受ける。

その後、オランダ・ロシア・イギリス・フランスとの間でも同じような条約が結ばれる。

Treaty of Amity and Commerce

In 1853, Japan made a first trade treaty for Japan with America.
Townsend Harris who is Consul General of Japan demanded trade with America. Ii Naosuke accepted America's demand,and he suppressed dissenting opinions.

This treaty consist of fourteen articles.
・To open the Port of Kanagawa, Nagasaki, Niigata and Hyogo
・To approve consular jurisdiction
・Agreement tariff system
and others

These were unequal treaty for Japan.

Edo shogunate was criticized because they made treaty.

Japan made treaty with Holland, Russia, the UK and France.