「あ」号作戦
昭和19年2月17日、18日に中部太平洋の日本海軍の本拠地であるトラック島が米機動部隊の空襲を受けてしまった。この時に201空と204空の零戦隊がほとんど失った。そして2月23日には米機動部隊はマリアナに来襲し201空と263空の零戦は失われた。その後もパラオ、カロリン諸島、南鳥島、ウェーク島にも空襲が続き零戦は健闘した。
そして5月20日に「あ」号作戦が発動された。これは機動部隊はタウイタウイに終結し基地航空隊は要地に展開するものであった。まず6月11日の敵機動部隊の空襲ではじまった。15日には敵がサイパン島に上陸するところを迎撃した。そして19日、20日にはマリアナ西の海上で日米機動部隊が対決をした。
この戦いで日本軍は3空母と搭載機を失い324機の攻撃隊は多くの敵機動部隊に阻まれた。