ハワイ海戦

    

       

           開戦準備

    第一次攻撃隊の戦闘

    第二次攻撃隊の戦闘

 

 

 

 


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    開戦準備

  1941年(昭和16年)になると日米開戦の兆しがみえ準備が本格
 化した。 
  まず連合艦隊の編成が改正された。
 1月15日、基地航空部隊の第11航空艦隊が生まれる。
 4月10日、第1航空艦隊誕生。
 結局連合艦隊の編成は次のようになった。

一航戦    赤城  加賀  第7駆逐艦

二航戦    蒼龍  飛龍  第23駆逐艦

四航戦    龍驤  春日丸  第3駆逐艦

五航戦    翔鶴  端鶴  秋雲

 そして搭載機の定数も改められた。艦戦の定数はこれまで常用9機補用3機であったのが、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、端鶴の6隻については常用18機、補用3機の合計21機に増強した。6隻合わせると常用180機、補用18機の合計216機であったことが分かる。しかしこの頃、人材、機材がともに不足ぎみで三航戦と四航戦の人材、機材は大部分が一航戦と二航戦に移され、五航戦は陸上航空隊から人材を補給するという緊急措置がとられた。また零戦も不足していたため赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、端鶴の6空母零戦が搭載されたが龍驤、春日丸、鳳翔、龍鳳の4空母は96式のままだった。
     
このように日本は余力を持った完全な態勢で開戦を臨もうとしたのではなく経済的にも厳しい時点で物量大国アメリカに挑戦したのだった。

 


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   第一次攻撃隊の戦闘

 昭和16年12月8日、零戦隊はハワイ海戦に参加した。第1航空艦隊に搭載されていた126機の零戦のうち43機が第一次攻撃隊の制空隊で35機が第二次航空隊の制空隊として出撃した。第1攻撃隊は水平爆撃隊、雷撃隊、急降下爆撃隊そして第1攻撃隊制空機43機から構成れていた。
 12月8日午前1時35分、総指揮官淵田美津雄中佐が率いる第一次攻撃隊は母艦を発進し、6時15分にハワイを目指して進攻を開始した。7時40分、攻撃隊はオワフ島北端のカフク岬沖へ到達し、7時49分には淵田中佐が攻撃隊全機に全軍突撃を命ずるト電送が打電された。制空隊は雷爆撃隊を援護するために真珠湾上空、ホイラー飛行場、カネ飛行場へ3方向に分かれて敵戦闘機の反撃に備えたが反撃はほとんどなかったため午前8時ごろに飛行場の攻撃に移った。
  

            各制空隊の戦果
 第一制空隊−板谷少佐が輸送機1機、平野飛曹と岩雄飛曹が協力して
       練習機1機、羽生飛曹が1機を撃墜したらヒッカム、エヴァ        両飛行機の銃撃につづき約25機を炎上させた。しかし平野
       氏はカメハメハ要塞の対空砲火で撃墜され他3機が被弾した。
    第二制空隊−山本旭一飛曹が練習機を1機撃墜してヒッカム、エヴァ両で        飛行場に銃撃をくわえ23機を炎上させた。しかし佐野飛曹
       羽田飛曹が帰らず、山本飛曹、中上飛曹が対空砲火で撃墜さ
       れた。
 第三制空隊−1部が空戦を行いホイラー、エヴァ両飛行場の銃撃で27機
        を炎上させた。この空戦では全機無事に帰還した。
 第四〜六制空隊−空戦がなく第4制空隊はハーバーポイント飛行場で銃
         撃をして22機を炎上させた。

 

 


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    第二次攻撃隊の戦闘

    第一次攻撃隊が発艦してから1時間15分後の現地時間7日7時30分に第二次攻撃隊163機が発艦した。攻撃隊は7時30分に 進撃し8時40分にオワフ島北端のカフク岬に到着した。そして15分後、全軍突撃が命  令され第一制空隊と入れ替わりで午前8時2分、攻撃が開始された。
 赤城分隊長進藤三郎大尉率いる第2攻撃隊制空隊はオワフ島上空の制空権を第一次攻撃隊から受け継ぎ反撃してきた敵戦闘機を撃墜し制空権を確保しつつ銃撃で地上の敵機炎上撃破していった。またこの日は第1航空隊の戦闘で煙霧があり条件が悪かった。
           各制空隊の戦果
 
第一制空隊ヒッカム飛行場を銃撃し大型機中型機各1機を炎上させたが
       それ以後不明。
 第二制空隊フィード、ヒッカム、ホイラーの各飛行場をを銃撃したが煙
       霧に妨げられて戦果は不明。そしてこの戦闘で五島一平飛曹
       長と稲永富雄一飛曹が未帰還者となった。
 第三制空隊−カネオヘ飛行場へ銃撃をし飛行艇6機を炎上させた。そして
       ホイラー飛行場から飛び立ってきたカーチスP−36モホー
       ク戦闘機9機と空戦
       をして2機を撃墜した。日本側も飯田大尉、厚見飛曹、石井
       飛曹の3機が自爆した。
 第四制空隊−べローズ飛行場で銃撃をし、そしてカーチスP−40戦闘機
       と空戦をして2機を撃墜しカネオヘ飛行場では銃撃で飛行機
       2機とトラック1台を炎上させた。
 この真珠湾攻撃に参加した零戦隊の損害は第一次攻撃隊が3機、第二次攻
 撃隊は6機で合わせて9機であった。

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